「君の倫理 大丈夫そ?」

そんな問いかけが、東京メトロの国会議事堂前駅・霞ケ関駅・永田町駅の3駅に、突然貼り出されました。

貼ったのはRADWIMPSで、10月28日に配信が始まった新曲「娑婆堕罵 -Shabadaba-(シャバダバ)」の広告です。

配信と同時に歌詞が全文公開されると、ネットは一気にざわつきました。

「よく言ってくれた」という声と「さすがに尖りすぎ」という声が、同じ日に並んでいます。

しかも歌っているのは、2018年に「HINOMARU」という曲で「愛国的すぎる」と批判を浴びた、あのバンドです。

「え、あのときと真逆のことを言ってない?」と首をかしげた人も多いはず。

共感の声から冷ややかな声まで、みんなの反応を並べながら、新曲のどこがそんなにヤバいのか、HINOMARUとの関係まで整理していきます。


共感の嵐と冷ややかな声

配信から2日がたっても、反応の広がりはまだ止まっていません。

10月30日には、この曲がチャートで1位になったら歌詞を国民の総意と受け取っていい、というポストまで大きく伸びました。

寄せられた声を並べてみると、言えなかったことを代わりに言ってもらえたという声、曲を応援することを一票のように感じている声、駅の広告に沸いた声、そして冷ややかな声の4つに、だいたい分かれます。

 

「思ってること全部言葉にしてくれた」

いちばん多いのは、自分が言えずにいたことを代わりに言ってもらえた、という声です。

「私が頭の中で思ってること全部言葉にしてくれてる」と書いた人は、わざわざ「皮肉とかじゃないです。本当にそう思ってます」と添えていました。

「搾取されてる気分しか無いので、同意です!」という短い声も、同じ向きです。

怒りに火がついたというより、ずっと探していた言葉がやっと見つかった、という安堵に近い反応ですよね。

 

「チャート1位なら国民の総意」

応援することそのものを、意思表示のように受け取っている人もいます。

このポストを書いた人は前の日に、この歌詞を「国民から見た日本政府へのラブレターみたい」とも書いていました。

聴くこと、ダウンロードすることが、そのまま声を届ける手段のように感じられているんです。

 

駅の広告に「最高にロック」

配信前に貼られた国会議事堂前駅などの広告にも、反応が集まりました。

国会議員の通勤路に「君の倫理 大丈夫そ?」を貼るという仕掛けそのものが、言いたいことを言ってくれた、と受け取られています。

 

「厨二病」と冷ややかな声も

もちろん、全員が拍手しているわけではありません。

評論家の谷本真由美は、歌詞を取り上げたポストを引用して「まあ厨二病どすな」と書き、道路も上下水道も病院も学校も税金で回っているのに、と皮肉まじりに反論していました。

政治的な立場に一貫性がない、歌詞が薄っぺらい、この程度で尖っているとは言えない、という見方もあります。

税金の重さは国によって違うし、世襲でも優秀な政治家はいる、と歌詞の中身そのものに異を唱える人も。

ただ、共感した側も冷ややかな側も、話の真ん中に置いているのは同じ「税金」なんですよね。


歌詞に仕込まれた3つの棘

「娑婆堕罵」は、ラップ調でたたみかけるように言葉が流れていく曲です。

耳で一度聴いただけでは通り過ぎてしまうのですが、文字で追うと、給料明細を見てため息をついたことがある人なら覚えのある苛立ちが、かなりストレートな言葉で並んでいます。

反応がとくに集まっているのは、次の3か所。

 

国家をヤクザにたとえた一節

いちばん話題になっているのが、国家とは要するに「合法化ヤクザ」だ、と言い切ってしまう一節です。

続けて、取れるだけ取っておいて文句を言われたら「黙ってろ」で済ませる、そんな言い分がなぜか通ってしまうのが気持ち悪い、と歌っています。

そのすぐあとには、息をしているだけで取られていく暮らしを、自分にはちょうどいいハンデだと強がってみせる一節まで続く。

SmartFLASHの記事で、社会部の記者はこの歌詞が「負担を求められる側と権力や資金を握る側の不均衡」を描いている、と読み解いていました。

税金や社会保険料が引かれていくのを毎月黙って見ている人には、他人事に聞こえない一節ですよね。

 

2世と3世がやりたい放題の国

もうひとつは、世襲の話です。

歌詞は、2世や3世がやりたい放題にしている国を、お金の詰まった「貯金箱」にたとえています。

そして、それを盗み出してくれるルパン3世は現れない、とぼやいてみせる。

この曲は石原さとみ主演のフジテレビ系ドラマ『ポリティカルパン』の主題歌で、ドラマは女ルパンが政界に入り込み、使われ方の見えない政治のお金を盗み出していく物語。

現実にはルパンは来ないと主題歌がぼやき、そのぶんドラマの中で女ルパンが盗み出す。

脚本の野木亜紀子が、この曲を「これ以上ぴったりな主題歌はありません」と評したのも、うなずける組み合わせです。

 

「オタク」はアニメ好きの話ではない

3つめが、ネットで少し笑いを呼んでいる「オタク」という言葉。

「オタク巻き添え」と笑っている人もいましたが、ここでいう「オタク」は、アニメやアイドルが好きな人のことではありません。

歌詞では、人のお金で食べるお寿司や焼肉がいちばんおいしい、という皮肉のあとに、あなたたちがやっているのは、そういう理屈なのか、と問いかける場面で「オタク」が出てきます。

つまり「オタク」は「お宅」、そちらさん、という意味で、人のお金でごちそうを食べている側を呼ぶ言葉です。

ご近所に向かって「お宅の犬がね」と言うときの、あの「お宅」。


ドラマの側が頼んだ「尖った曲」

これだけ尖った歌詞だと、こんなの出して大丈夫なの、と心配になった人も多かったようです。

ただ、この曲はバンドが勝手に出した問題作ではありません。

報道によると、ドラマのプロデューサーと野木亜紀子から野田洋次郎への注文は「既存のドラマ主題歌という概念をぶっ壊すような曲」でした。

野田洋次郎は「メラメラと燃えながら曲作りに挑みました」とコメントし、自分でも「群を抜いて売れそうにない曲」ができあがったと書いています。

注文した野木亜紀子も、「尖った曲」を頼んだら想像の3倍尖っていた、と返したとのこと。

頼んだ側が驚くほど尖らせて、それをドラマの看板に据えている。

バンドが勝手に暴走したのではなく、テレビ局のドラマが選んで流している曲なんです。

 

駅の広告も、その延長にあります。

国会、官庁街、政党の本部が集まる場所の最寄り駅を選んで、そこを毎日通る人たちに「君の倫理 大丈夫そ?」と問いかけるのは、なかなかの度胸です。

テレビで流せるのか、と心配する声もありました。

紅白や音楽番組でどう扱われるかは、まだ分かりません。

ただ地上波では、この曲は10月7日のドラマ初回から、毎週水曜の夜にもう流れていました。

大きく火がついたのが10月28日だったのは、耳で聴いていた言葉が、配信と同時に文字になって画面に並んだから。


HINOMARUの人がなぜ国を叱るのか

ここで引っかかってくるのが、RADWIMPSの過去です。

2018年6月、シングル「カタルシスト」のカップリングとして出た「HINOMARU」は、日本への誇りや愛着を古風な言葉で歌った曲でした。

これが「軍歌のようだ」「愛国心をあおっている」と批判され、野田洋次郎はSNSで説明とおわびの言葉を出しています。

ライブ会場の前で抗議の集まりが呼びかけられるところまで話が広がった、と当時は報じられました。

そのバンドが、8年後に国をヤクザにたとえる歌を出したんです。

HINOMARUを覚えている人ほど、あれ、と思ったはず。

 

ネットには、愛国バンドが反日に転んだ、と面白がる書き込みまで出回りました。

その言い方に、こう返している人もいます。

「愛国」なのか「反日」なのか。

二択で答えを出そうとすると、どちらの側にも持ち出せる曲があって、話はいつまでも平行線になってしまいます。


HINOMARUと娑婆堕罵を並べてみると

二択にしてしまうと見落としてしまうのが、2つの曲が〈国のどこ〉を向いているか、なんですよね。

そこを、こう言葉にしている人がいました。

先ほどのSmartFLASHの記事でも、音楽関係者が、国への愛着と政治への批判は両立する、と話しています。

そのうえで、2つの曲が相手を何と呼んでいるかに目を向けると、もう少し具体的な形が見えてくる。

HINOMARUが歌いかけていたのは、この国の土地や人や、受け継がれてきたものでした。

いっぽう娑婆堕罵は、国を回してお金を握っている側を、あの「オタク」、つまりよその家の人を呼ぶ言葉で呼んでいるんです。

自分たちが暮らす国はうちで、国を動かしている人たちはお宅。

好きな国と、その国を回している人たちのあいだに、二人称ひとつで線を引いているのが、この歌です。

そう読むと、8年前の曲は国そのものに、今回の曲は国のお金を握る人たちに、同じ暮らしの側から声をかけているように見えてきます。

 

曲名の「娑婆」も、その立ち位置を指す言葉です。

娑婆はもとは仏教の言葉で、耐え忍んで生きていく世界という意味から、わたしたちが暮らすふつうの世の中を指すようになりました。

息をするだけで取られていくのを「ハンデ」と呼んで笑ってみせる歌の主人公は、まさにこの娑婆の住人です。

歌詞には、政党の名前も、政治家の名前も、ひとつも出てきません。

この歌が怒っている相手は、名前のある誰かではなく、お金の流れと「黙ってろ」が通ってしまう空気です。

この歌が「ラブレター」に読めた人がいるのも、怒りの根っこに、この国で暮らしていく側の思いが見えるからでしょう。

国をヤクザと呼ぶ歌に思わずスカッとした人は、給料明細や請求書を見るたびに飲み込んでいた言葉を、娑婆の側から先に口にしてもらえたのだと思います。

HINOMARUと娑婆堕罵を続けて聴き直すと、あの「合法化ヤクザ」も、国のお金を握る側にだけ向けた苛立ちとして聞こえてくるかもしれませんね。