2026年11月2日の『人生が変わる1分間の深イイ話』で、モナキのおヨネが高校時代を「結構、孤独に過ごした3年間ではありましたね」と振り返りました。

お昼ご飯は図書室で食べていて、卒業式のあとには卒業アルバムを家で破ったそうです。

ところが、その放送のわずか9日前。

フジテレビの『TEPPEN』では、フリーアナウンサーの杉浦みずきが「このスタジオに私の高校の同級生がいるんですね」と、スタジオにいたおヨネを紹介していました。

3年間クラスメイトで、高校時代は「コメコメ」と呼んでいた、とXにも書いています。

友達がいなかったと話す人と、あだ名で呼んでいたと話す人が、同じ教室にいたことになるので、ネットでは「どちらかが嘘をついているのでは」という声まで。

ただ、報じられた2人のやりとりを並べてみると、引っかかりをほどく手がかりは、TEPPENのスタジオにもう出ていたんです。


同じ教室なのに食い違う2人の3年間

先に口を開いたのは、杉浦みずきでした。

大阪出身の29歳で、子どものころからピアノを続け、いまはTBS系『サンデーモーニング』のキャスターなども務めているフリーアナウンサーです。

2026年10月24日の『TEPPEN2026秋』にアナウンサーチームのリーダーとして出演し、演奏の前に「今日はいいところを見せたいなっていう理由がありまして」と切り出したのが、この話の始まりでした。

放送の夜には、Xにもこう書いています。

この時点では、報道でも「同じクラスから芸能人二人なのすご」「世間は狭いですね」といったネットの声が紹介されていて、ほほえましい再会の話として受け取られていました。

モナキの公式Xも同じ夜、この再会を「嬉しい再会」として写真つきで紹介しています。

一方のおヨネは、純烈の弟分として2026年4月にメジャーデビューした4人組の歌謡グループ、モナキのメンバーで、同じく大阪出身の29歳です。

11月2日の『深イイ話』で語った高校時代は、スポニチの記事によるとこんな様子でした。

「授業と授業の間の休み時間にちょっと出たりして、また帰ってきて。お昼ご飯とかは、図書室で食べたりとかしてましたね」

周りの声が聞こえてくると孤独を感じてしまうので、あまり聞きたくなかったとも話していて、修学旅行や体育祭も一人で過ごしていたそうです。

そして卒業式のあと、アルバムを家に持ち帰って「高校の自分とはおさらばしたいって思って、バッて破りました」。

10月24日の「3年間クラスメイトでした」と、11月2日の「孤独に過ごした3年間」が、たった9日のあいだに並んでしまったわけです。


「コメコメ」に返ってきた「杉浦さん」

どちらかが嘘なのかを確かめるなら、10月24日のスタジオのやりとりを、報道の言葉のまま見直してみるのがいちばんの近道。

杉浦みずきが同級生だと明かすと、スタジオは「おヨネ!?」「えぇー!?」と驚き、おヨネは「お久しぶりです」とあいさつして、「3年間ずっとクラスが一緒でした」と認めています。

番組では、当時のクラスの集合写真も映されたそうです。

そこでスタジオから「しゃべってたの?」と聞かれ、杉浦みずきは「しゃべったことあるよね?」とおヨネに確かめながら、「私は“コメコメ”って呼んでました」と答えました。

それを受けたおヨネの返事が、「私は“杉浦さん”」。

すかさず共演者から「壁あるやん!」と声が上がり、スタジオは大爆笑になったと伝えられています。

共演者から冗談まじりにいじられて、おヨネがあたふたしていた、と書いた人も。

TEPPENを見ていた人にとっても、ここは笑いどころでした。

けれど『深イイ話』を見たあとでこの場面を思い返すと、同じ一言の聞こえ方がまるで変わってしまいます。

片方はあだ名で呼んでいて、もう片方は名字に「さん」を付けて呼んでいた。

教室での2人の距離が、呼び方の違いにそのまま出ていたように見えるんですよね。

 

しかもおヨネは、報じられた範囲では、同じクラスだったことは認めながら、仲が良かったとはスタジオでも言っていません。

話を合わせることも、否定して場を冷やすこともしない返し方でした。

杉浦みずきも、「しゃべったことあるよね?」と確かめる形で聞いていて、親友だったと言い張ってはいません。

あのとき笑いになった「壁あるやん!」は、いま聞き直すと、笑うだけでは済まない一言にも聞こえる。


杉浦みずきが書かなかった言葉

それでもネットには、有名になった途端に昔からの知り合いの顔をして出てくる人がいる、という苛立ちがあります。

杉浦みずきの投稿への返信にも、その気持ちはそのまま出てきました。

学生時代にひとりだった経験のある人なら、あの頃は話しかけてもこなかったのに、という気持ちに覚えがあるかもしれません。

ただ、杉浦みずきの投稿を一語ずつ読み直すと、使っている言葉は「同級生」と「クラスメイト」だけで、「友達」という言葉はどこにも出てこないんです。

投稿したのは10月24日で、おヨネが『深イイ話』で高校時代を語ったのは、その9日後の11月2日。

10月24日の夜の杉浦みずきには、おヨネがあの3年間をどう感じていたのかを知る手立てが、まだなかったことになります。

 

そう考えると、今回の2人の話は、どちらかを嘘にしなくても両方が成り立つ。

2人とも、自分の席から見えていた3年間を、そのまま話しているだけだからです。

あだ名で呼んでいた側にとっては、同じクラスの一人として、明るい思い出の中に入っている記憶なのかもしれません。

反対に、周りの話し声を聞かないようにして図書室へ向かっていた側から見れば、同じ教室は、できれば早く出ていきたい場所でした。

同じ集合写真に写っていても、同じ3年間が、座っていた場所によってまったく別の重さになっていたということです。

ネットには、あだ名そのものを「裏でいじっていたのでは」と勘ぐる声もありますが、「コメコメ」というあだ名が教室でどんな響きだったのかを確かめる材料は、報道にもありません。

それでも杉浦みずきの投稿には、責めるような返信が付き始めていて、それを止める声も出ています。

報じられた範囲では、おヨネは『深イイ話』の中で、杉浦みずきの名前も、クラスの誰かの名前も出していません。

話したのは、最後まで自分の3年間のことだけでした。


破ったアルバムの頃の集合写真

この話でいちばん胸がざわつくのは、TEPPENのスタジオで、あのクラスの集合写真が映されていたことかもしれません。

卒業式の日にアルバムごと破って別れを告げた高校時代が、10年あまりたって、全国放送の画面に出てきたことになるからです。

アルバムを破ったという話は、『深イイ話』の放送直後からネットで大きく広がりました。

そう考えると、「嫌な思い出をスタジオで思い出させてしまったのでは」と心配する声が出るのも、もっともな話だと思います。

その心配は、『深イイ話』のあと、杉浦みずきの投稿に2人の仲を問いただす返信の形でも出てきました。

11月3日の夜の時点で、杉浦みずき本人はこの件についてXで何も触れておらず、こうした声にも答えていません。

テレビにとって「同級生とまさかの再会」は、これ以上ない見せ場ですよね。

ただ、あのスタジオでは、片側に座っていた人の3年間がどんなものだったかは語られないまま、再会の場面だけが進んでいきました。

 

それでもおヨネは、あの場で「お久しぶりです」と、きちんとあいさつを返している。

TEPPENを見た人の中には、杉浦みずきがピアノを弾いているとき、おヨネが少し涙ぐんでいるように見えた、と書いた人もいます。

もし本当に涙ぐんでいたのだとしても、それが何に動かされたものだったのかは、本人にしか分かりません。

確かなのは、報じられた言葉の中で、おヨネが誰のことも責めていないということです。

スタジオで距離を見せた「杉浦さん」という呼び方も、相手を責める言葉ではありませんでした。


カラオケ喫茶で見つけた居場所

では、教室に居場所がなかったおヨネは、どこで自分を取り戻していったのか。

『深イイ話』で語られたのは、昭和歌謡が好きだったことから通い始めた、最寄り駅のカラオケ喫茶の話でした。

お客さんは年配の人ばかりで、そこで人前で歌う楽しさを知り、「皆さんとの交流が、私の中では支えになりました」と話しています。

大学ではアカペラサークルに入って親友もでき、卒業後はエンジニアとして工場に勤めていたものの、歌をあきらめきれずにモナキのオーディションを受けたそうです。

いまのおヨネの暮らしぶりは『深イイ話』の密着で紹介され、モナキの公式Xも放送のあとに見逃し配信を案内していました。

デビューしてからは、メンバーのじんなどから、インタビューで「おヨネは一番、肝が据わっていて」と言われることがあると本人は話しています。

その理由として、おヨネが自分で挙げたのが、あの高校時代でした。

「ある種そういった暗黒時代みたいなのを過ごしたから、ここまでひどくなることはないし、別に…ということで、乗り越えられている」

アルバムを破って別れたはずの3年間を、いまのおヨネは自分の強さの理由として話せるようになっているわけです。

あの3年間が孤独だったことも、同じ教室で3年間クラスメイトだったことも、2人が話したとおりなのだと思います。

同じ教室にいても、同じ3年間を過ごしていたわけではなかった、ということですね。