「うちで盗撮はよくあること」

職場のトイレで盗撮の被害に遭い、事件を公表してほしいと頼んだときに、上司からそう言われたとひとりの女性社員が訴えています。

しかも、訴状によれば、面談した産業医からもほとんど同じ言葉が返ってきたそうです。

2026年9月18日、JR東日本の女性社員が東京地裁に訴えを起こしました。請求額は816万9360円。

 

ただ、争っているのは盗撮そのものではありません

訴状が告発として並べているのは、被害がわかったあとに会社が彼女へ何をして、何をしなかったかです。

訴状にはこのほかにも、「かわいいと大変だね」「来月には酒のサカナになっている」といった耳を疑う社内の言葉が並んでいます。


「犯人は同僚だよ」と休み明けに聞いた

始まりは2024年8月5日。

JR浦和駅の公衆トイレで盗撮をしたとして、JR東日本の男性社員が逮捕されます。彼女の職場の外で起きた、一見すると別の事件でした。

ところが翌6日、警察に押収されたスマートフォンから同じ職場の中で撮られた盗撮データが大量に見つかります。その中に、彼女が写っていたんです。

 

彼女がそれを突然知らされたのは、夏季休暇が明けて普段どおり職場へ戻った8月19日のことでした。

知らせたのは会社ではなく、同僚です。「盗撮の被害者と聞いたよ。大丈夫」「犯人は(同僚の)Aだよ」と、5日に逮捕された社員の名前まであっさり伝えられたと訴状にあります。

翌20日に警察署で押収データを確認して自分が写っていることを認識し、同じ日に被害届を出して会社へも報告しました。

会社は警察の捜査が入った6日の時点で、職場の中で盗撮が行われていたことを知っていました。それでも本人には届かず、休み明けの職場で噂話のように同僚の口から聞くことになったわけです。

順番が逆なんですよね。

 

この時期には、もうひとつの動き。

逮捕された男は、職場のごみ置き場から捨てられていた使用済みの生理用品と女性用の指定靴を勝手に持ち出し、自分の机やロッカーの奥に隠していたとされています。

勾留中の男は、面会に来た妻を通じて別の社員に連絡を取り、その机とロッカーにある物を別の場所へ移すよう頼みます。頼まれた社員は8月9日の深夜11時ごろ、勤務時間外に職場へ入りましたが、居合わせた夜勤中の社員に見とがめられて未遂のまま。

 

訴状によれば、会社はこの深夜に入ってきた社員を処分しておらず、理由は「未遂なので、処分できる行為がない」だったそうです。しかも他部署への配置換えもされず、同じ職場で働き続けたと彼女は会見で話していました。

深夜に職場の建物へ入って、事件の関係物を外へ運び出そうとした。それを未遂だからと不問にして、その社員を被害者と同じ職場に残したことになります。

加害者の男性社員は、2024年9月に社内での盗撮を理由として懲戒解雇され、同年11月には裁判所で有罪判決を受けました。

会社は処分を出せたんです。処分をしなかったのは、加害者の側に回った身内の社員に対してだけです。


産業医まで「よくあること」と言った

その後の捜査で、同じ手口で被害に遭っていた社員は彼女のほかにもう1人いたことも分かっています。被害を知った彼女は、そのもうひとりとも話し合ったうえで、再発を防ぐために会社へ事件の公表を求めました。

被害に遭ったトイレは社外の人も日常的に使う場所で、イベントのときには一般客にも開放されていたそうです。現に加害者は、駅の公衆トイレでも盗撮をしていた人です。

公表しなければ、外から来た人が危ないままになる。そう考えての要望だったと、提訴の日に開いた記者会見で説明しています。

 

返ってきたのが、冒頭の言葉。

「うちで盗撮はよくあること。過去の事件も公表していないから今回もおこなわない」

そして相談に乗るはずの産業医からは、カウンセリングの場でこう告げられたとされています。

「うちで盗撮はよくある。捕まっているだけ良い方

捕まっているだけ良い方、というのは、見逃されて捕まっていない加害者がほかにもいるという前提の言い方になります。

産業医というのは、働く社員の心と体の健康を守るために事業場へ置くことが労働安全衛生法で決まっている医師のことです。社内でいちばん会社の都合から離れた場所にいるはずの人から、上司とほぼ同じ一文が出てきました。

訴状には、ほかにも職場を共にする社員たちの発言がいくつも並んでいます。

  • 責任者は「かわいいと大変だね」と述べた
  • 別の社員は懇親会で「すごいことが起きた、来月には酒のサカナになっている」と語った

「かわいいと大変だね」は、被害に遭った理由を本人の容姿の側へ押しつける言い方。

「来月には酒のサカナ」にいたっては、彼女が受けた被害を、来月の飲み会で話す予定として社員が平然と語っていたということになります。

どれかひとつ耳に入っただけでも、その職場にはもう立てません。

なお、会社側は労働組合との団体交渉の場で、こうした発言があったこと自体を全面的に否定しているとされています。訴状に並んだ言葉を、会社は言っていないと言っているわけです。

「よくあること」は被害をその場しのぎで軽く見せる言葉のようでいて、中身は「うちの社内では盗撮が何度も起きている」という会社の自己申告になっています。

そしてもし何度も起きているのなら、なおさら実態を世間に公表して止めにいくべきではないでしょうか。

過去の分を公表してこなかったから今回もしない、というのが上司の説明でした。それは事なかれ主義で前例をなぞっただけで、公表しない理由にはなっていません。

彼女がしたのは、もうひとりの被害者と足並みをそろえて次の被害を止めにいくことでした。それが、上司のたった一言で止められています。

 

もうひとつ、二次被害を恐れた彼女は「自分が被害者だということは伏せてほしい」と会社にも切実に頼んでいました。

ところが、守られるはずだったその希望は上司らを通じて職場の一部に伝わってしまいます。さらに会社が開いた社員説明会では、被害者側が特定を避けるため事前に伏せてほしいと求め、会社も了承していたはずの犯行の場所と手口まで勝手に話されたと訴えています。

外へは出さないのに、内には全部伝わった。

そのあと彼女が受けたのは、同僚たちからの興味本位の質問と心ないセクハラ発言でした。「会社に行くことが怖くなりました」と会見で語っていました。


辞めるのも休むのも止められた

彼女は被害を知った直後から頭痛などに苦しみ、同僚に盗撮された場所で働き続けるのは無理だと判断して、まず退職を考えます。

引き留めに入った会社の返事は「要望に合う異動先を探すので、決断は待ってほしい」。辞める話は、ここで止まりました。

次に医師から休養が必要だと言われて人事の担当者に伝えると、返ってきたのは「休職したら異動できなくなるので、おすすめしない」という言葉。

休む話も、ここで止まりました。

退職も休職も塞がれ、残されたのは異動の道だけ。彼女が会社へ挙げた切実な希望は3つだったと報じられています。

  • トラウマを呼び起こす、盗撮されたときの制服を着なくていい職場
  • キャリアを断たれることなく、いずれ専門職へ戻れる見込みのある職場
  • 男性ばかりの空間を避けられる、女性が多い職場

これまで専門職として働いてきた彼女にとって、畑違いの部署への異動は積み上げたキャリアを丸ごと捨てるのと同じ意味を持っていました。それでも好奇の目にさらされ続けるよりはまし、というギリギリの判断だったそうです。

提示されたのは、およそ3か月も経ってから。

中身は車両センターの事務職で、女性社員の割合がわずか2.6%と5.6%、つまり9割以上が男性の職場で、通勤は往復2〜3時間だったとされています。しかも着る制服も胸の名札も、被害に遭った当時と同じもの。

彼女が出した3つの希望と重なるところは、ひとつもありませんでした。

追いつめられた2024年12月、彼女は急性ストレス障害などと診断され、翌2025年1月からとうとう休職に入ります。2026年3月には労災としても認められ、体調を崩した原因は仕事と職場環境の側にあると国が公式に判断したわけですね。

会社側の説明も出ていて、労働組合との交渉の場では「本人の希望に寄り添って対応していた」「早急に動いた結果、3か月になった」と答えたそうですが、交渉に立ち会ったJR東労組の担当者は「3か月のあいだ、本人の希望はまったく叶っていなかった」と真っ向から否定しています。

司法記者クラブで開かれた会見での、彼女自身の言葉。

「時間が経つにつれて、とても寄り添っているとは感じられなくなりました」

「辞めさせても、休職させても、異動させてももらえず、逃げ場がなかった」


性被害のあとの異動だけは話が別

「異動の希望なんて、そもそも通らないでしょう」

この件でも、そういう受け止めをよく見かけます。たしかにふだんの人事異動は、受け入れ先のポストの枠とそのときの人繰りで決まるものですよね。

ただ、職場で起きたハラスメントや性被害のあとの異動は、その人繰りの話とは別の基準で決まっているんです。

厚生労働省は、職場での性的な言動=セクシュアルハラスメントについて、会社がやらなければならないことを指針にまとめています。その中にあるのが、社内で被害の事実が確認できた場合の「被害者に対する配慮のための措置」という項目。

会社が取るべき具体例として挙げられているのが、この4つ。

  • 被害者と行為者の関係改善に向けての援助
  • 被害者と行為者を引き離すための配置転換
  • 行為者の謝罪
  • 被害者の労働条件上の不利益の回復

この2つめの引き離すための配置転換こそが、彼女の求めた異動です。国がここに名前で書いているものなので、一社員のわがままではないんですよね。

さらに同じ指針には、会社が守るべきこんな初歩的な項目も入っていました。

被害を相談した人のプライバシーを守ること。そして守っているということ自体を、社員へ知らせておくこと。勇気を出して相談したせいで異動や評価で損をさせたりしない、と決めて周知することも並んでいます。

公表をあっさり断られ、被害者だと社内に勝手に伝わり、3か月も放置されて希望と真逆の職場を示された。彼女が受けた扱いは、指針が名前を挙げている項目をひとつずつ踏み外していました。

裏を返すと、会社がやるべきだった初動対応は厚労省の指針というかたちでとっくに文章になっていて、あとはそのとおりにやるだけの話でした。労働契約法が定める職場環境配慮義務に違反するかどうかは裁判が判断しますが、指針に書いてあることをやらなかったという事実は動きません。

彼女の代理人である北村晋治弁護士は、会見でこう述べていました。

「鉄道会社は『痴漢を許さない』というキャンペーンを打っており、一般の人たちは、鉄道会社は最も性被害に厳格な姿勢を持っていると期待しているのではないか。実際はまったく違う。そこに大きな問題性を感じている」

痴漢を許さないと駅で言い続けてきた会社の、社内での答えがあの「よくあること」でした。


相談する先も訴える先も同じ会社だった

彼女が会社に求めたことは、大きく6つあります。

  • 事件を公表してほしい
  • 自分が被害者だと伏せてほしい
  • 持ち去られた物について、会社としても被害届を出してほしい
  • 辞めさせてほしい
  • 休ませてほしい
  • 別の職場へ移してほしい

彼女が絞り出したこの6つとも、決めるのは会社の側。

辞める・休む・移るという出口も、警察や外へつなぐ道も、全部が同じ会社の中にありました。

彼女が求めた3つめの被害届というのは、職場のごみ置き場から持ち出された生理用品と指定靴についての、窃盗の届け出のこと。

当時、会社は「警察から、被害届は受理しないという見解が示されている」と説明したとのこと。ところが不審に思った彼女が自分で警察署に確かめたところ、「そのようなことはない」と言われたと主張しています。

どちらの言い分が本当かは、これからの法廷で争われる部分です。ただ、会社を通したせいで出せたはずの届け出がひとつ止まったことは、動きません。

 

相談された会社は、同時に「自分の落ち度を認めるかどうかを決める側」でもあります。外へ公表すれば社会的な評判が下がり、被害届を出せば社内で起きたことが公的な記録に残り、傷ついた社員をひとり動かせば現場にそのぶんの人繰りが発生する。

どれも、目先の保身を考えるなら「やらないほうが軽い」ことばかり。

その損得からもっとも遠く離れているはずの産業医まで、上司と同じ「よくあること」という言い方でした。彼女が社内の言葉以外を聞ける相手は、その建物に残っていなかったことになるわけです。

社内で誰に聞いても同じ答えしか返ってこないのなら、あとは司法の場や記者会見のような外で問いただすしかありません。

たとえ訴えが満額で認められたとしても、816万円という賠償額はこの規模の会社にとって小さなものでしょう。

ただ、お金の勝ち負けとは別に、この裁判にはもうひとつ効き目があります。訴状に書かれた発言が全部おもてに出たことは、かなり大きいと思います。

「うちで盗撮はよくあること」も、「捕まっているだけ良い方」という開き直りも、社内にあるうちは誰の耳にも届きませんでした。

彼女が会見で最後に口にしたのは、「企業体質を改めていただきたい」という一言。

 


被害届も労災も会社を通さずに出せる

もし自分や身近な人が職場で同じ目に遭ったとき、会社を通さずに自分を守るために使える公的な制度がいくつかあるんですよね。

まずひとつめ。被害届は、被害に遭った本人が最寄りの警察署へ出すもので、会社の許可は一切要りません。実際、彼女も会社をあてにせず被害を知った翌日に自分で出しています。

訴状で問題にされているのは会社としての届け出のほうで、本人が出す分とは別の話なんです。

続いてふたつめ。労災の請求書には、会社が状況を証明して押印する欄があります。ここを埋めてもらえないと申請すら受け付けてもらえない、と思われがちなところ。

実際には会社が証明を拒んでも、その事情を説明すれば労働基準監督署は会社を飛ばして請求書を受け付けます

みっつめ。厚生労働省の出先である各都道府県の労働局には「総合労働相談コーナー」という窓口があって、相談は無料、事前の予約も要りません。

社内へ相談する前に、外の専門家と一度話せる場所がある。会社から返ってきた返事を、外の人にも一度見てもらえます。

そしてよっつめ。今回の訴状には、誰がいつ何と言ったかが日付つきで細かく並んでいました。

その場でとっさに言い返せる人は少ないはずですが、スマートフォンのメモに日付と一緒に書き留めておけば、あとで交渉や裁判の材料になると思います。

 

最後にいつつめは、労働組合という後ろ盾。「早急に動いた結果、3か月になった」という会社の説明が表に出たのも、組合が団体交渉の場で追及して聞き出したから。

立場の弱い個人には言わないことでも、労働組合の追及には答えることがあります。

JR東日本は「訴状が届いていないので、現時点でコメントは差し控えさせていただきます」とのことです。

ただ、「よくあること」で片づけられる職場を作ったのは、社内で起きた盗撮を一度も外へ出してこなかった運用そのものですよね。