2026年8月29日の夜、『24時間テレビ49』の中で、俳優の星野真里さんが娘さんの学校での出来事を涙ながらに語りました。

教室のいちばん後ろに、ひとりで座っていた。

先生からの声かけも補助もなかった。

小学1年生の終わりの授業参観で目にした光景だ、という話です。

 

ところが放送が終わるころには、叩かれているのは星野さんのほうでした。

モンスターペアレントだ。

担任の先生を全国放送で晒した。

そこまで求めるなら支援学校へ行けばいい。

 

この批判のほとんどは、ある一つの事実を取り違えたまま書かれていました。

しかもその事実は、番組の中で語られていたほうです。

語られていたのに、誰の頭にも残りませんでした。

そこが今回のいちばん厄介なところです。

モンスターペアレントと呼ばれた

星野さんは、今年の24時間テレビでチャリティーランナーを務めていました。

目的別の募金には「できた!を増やす子ども募金」という名前が付いていました。

走る理由として番組が紹介したのが、娘さんと過ごしてきた10年でした。

その流れの中で出てきたのが、あの授業参観の場面です。

 

言われていたことは、だいたい3つの形をしていました。

通常学級に入れておきながら、あれこれ配慮を求めている。

名前も出ていない担任の先生が、全国放送で悪者にされた。

配慮がほしいなら、最初から支援学校を選ぶべきだった。

 

そのなかに、こういう投稿も混じっています。

この一行を打つのに、ずいぶんためらったんだろうなと思います。

違和感を口にした瞬間に、自分が冷たい人間だと言われそうな空気が、この件にはありました。

 

あの放送に引っかかった人が、障害のある子に冷たかったわけではありません。

引っかかるのに十分な材料だけが渡されて、引っかからずにすむ材料のほうが渡されなかった。

それだけのことです。


娘は通常学級の子ではなかった

勘違いされていたのは、娘さんがどこの学級の子なのか、でした。

星野さんの長女・ふうかさんは、いま11歳です。

筋肉に力が入りにくくなる先天性ミオパチーという病気があり、国の指定難病にも入っています。

電動車いすと、呼吸を助ける機器を使って学校へ通っているとのことです。

そして在籍しているのは、通常学級ではなく特別支援学級です。

批判の多くは「通常学級を選んだくせに」という形をしていました。

その土台が、最初から違っていたことになります。

 

ここが厄介なところです。

支援学級で入学したという話は、番組の中でも出ていました。

それでも多くの人の頭に残ったのは、教室の後ろでひとりだった娘さんと、母親の涙のほうです。

言葉としては流れていたのに、絵のほうが強すぎました。

 

では、支援学級の子がなぜ通常学級の教室に座っていたのか。

交流及び共同学習という仕組みがあるからです。

特別支援学級に在籍している子が、決められた教科や給食、行事の時間だけ通常学級へ出て、そこで一緒に学ぶ。

学習指導要領にも載っている、れっきとした学びの形です。

つまりあの席は、ふうかさんが毎日座っている席ではありませんでした。

交流のある日だけ、そこに用意される席です。

 

中国の古い書物『列子』に、斧をなくした男の話が出てきます。

隣の家の息子が盗んだと思い込んだとたん、歩き方も顔つきも話し方も、全部が盗人のものに見えてきた。

ところが谷から斧が出てきた翌日には、その息子は何をしても盗人には見えなかった、という話です。

先に置かれた前提は、あとから来る話の色まで決めてしまうんですね。

時間割を組むのは母親ではない

よく出ていたのが、親が無理やりねじ込んだ、という見方です。

ここも順番が逆になっています。

 

決めごとは2つあって、まずはどこで学ぶかのほうです。

就学先は、保護者がひとりで決められるものではありません。

障害の状態や本人の教育的なニーズ、専門家の意見、学校や地域の状況を合わせて考えたうえで、本人と保護者の意見を最大限に尊重して、最後は市町村の教育委員会が決めます。

希望を伝える場はありますが、決めているのは家庭ではないわけです。

 

もう1つが、交流でどの授業に出るのか。

これを決めているのは、学校の教育課程と、そこから引かれる週の時間割です。

音楽と図工には出る、算数は支援学級で受ける、給食は一緒に食べる。

そういう案を作るのは学校のほうです。

とはいえ、決めたことをあとから通知して終わり、でもありません。

説明して、話し合って、了解をもらう。

そこまでが手続きに含まれています。

「うちの子も通常学級へ入れてください」と押し込んで座れる席ではありません。

 

それどころか、伝えること自体が制度の側から想定されています。

障害のある人が困っている場面で、重すぎない範囲で学校が対応する。

これを合理的配慮といって、公立の学校では2016年4月から法律上の義務になりました。

私立を含む民間の事業者も、2024年4月から同じ義務を負っています。

ここで大事なのが、この義務には入口があることです。

本人か保護者が困っていると伝えたところから始まります。

黙っていれば、何も動きません。

そして学校が断るときにも決まりがあって、重すぎる理由を説明し、代わりにできることを一緒に探すところまでが中身です。

星野さんが学校に伝えたこと自体は、制度がそうしてくださいと言っている動きでした。

モンスターペアレントという言葉が、いちばん当たらないところへ飛んでいたことになります。

 

ついでに言うと、この手の仕組みは呼び名すら自治体でばらばらです。

特別支援学校に通う子が地元の小中学校にも籍を置くほうは、東京都では副籍、埼玉県では支援籍と呼ばれます。

星野さんをかばおうとした投稿でさえ、その副籍と交流及び共同学習を取り違えていました。

外からは、それくらい見えにくい場所の話です。

 

ちなみに今年の放送は、障害のある人の映し方そのものにも声が出た回でした。

そちらは24時間テレビに「出られる人・出られない人」がいる?障害者企画に広がった違和感のほうが詳しいです。


支援学級へ行けという声の行き先

そしてもうひとつ、繰り返し出てきたのがこの形です。

「支援学級ってそんなに行きたくないもの?」というところ。

意地悪で書かれた一行ではなく、本気で不思議に思って出てきた言葉だと思います。

 

ただ、この声には行き先がありませんでした。

ふうかさんは、みんなが勧めているその場所に、もう入っていたからです。

 

特別支援学級は、同じ小中学校の中にある少人数の学級です。

1クラスの上限は8人。

いまの小学校の通常学級が35人までですから、手厚さはまるで違います。

星野さんは以前から、その支援学級を選んだ理由も話していました。

サポートの体制が整っていること。

同じような特性のある友だちと関われること。

そのうえで、通常学級との行き来も残しておけること。

この両方を取る形が、最初からの選択だったわけです。

 

それに、さきほどの問いには、本人がもう答えていました。

ふうかさん自身も2025年の取材で、通常学級での勉強や給食の時間について、自分の言葉で語っていました。

最近うれしかったこととして挙げていたのが、困っていたときに通常学級の友だちが声をかけて手伝ってくれたことでした。

歩けないことについても、かわいそうなのではなく、自分にとってはこれが普通だ、という趣旨のことを語っています。

支援学級が嫌だという話ではなく、友だちができた時間を取り上げないでほしいという話だったわけです。

「親が普通の子と同じにしたがっているだけ」では、この言葉は説明がつきません。

後ろの席を作ったのは数え方だった

では、なぜその席が教室のいちばん後ろになるのか。

交流で通常学級にいるあいだ、その子は書類の上ではその教室にいないことになっています。

籍が特別支援学級にあるので、通常学級の人数を数えるときに足されないのです。

35人の教室へ交流の子が来ても、書類の上ではやはり35人のままです。

人数が増えたことになっていないので、先生も増えません。

 

では、支援学級の先生が付いていけばいいのでは、と思いますよね。

そのとおりなんです。

そして実際に、そうしている学校もあります。

文部科学省が全国の教育委員会へ通知を出したのは、2022年4月27日でした。

支援学級に在籍する子は、原則として週の授業時数の半分以上を支援学級で学ぶこと。

大半の授業を通常学級で受けているなら、それは通級による指導と変わらず不適切だ、という内容でした。

そしてこの通知をめぐる議論で、うまく回っている例として名前が挙がっているのが大阪の自治体です。

支援学級の担任が付き添うことで、できるだけ多くの授業を通常学級で受けられるようにしていました。

つまり、大人が付き添う形は理想論ではありません。

回っている学校では、回っています。

 

ただ、その担任にも、支援学級に残っている子たちの授業があります。

同じ時間に、ふたつの教室には立てません。

通常学級の先生の前にも、自分のクラスの子どもが並んでいます。

授業を進めながら、そのうちのひとりに付きっきりになることもできません。

やる気のあるなしとは、別のところで足りていないのです。

結果として、交流のその45分だけ、ふうかさんはどちらの学級の名簿からも外れた子になります。

教室のいちばん後ろにひとりで座っていた、という光景は、ここから生まれます。

先生が冷たかったからではなく、その子を見る大人の分が、はじめから数に入っていなかったからです。

ただ、数え方で説明がつくのは、大人が足りないところまでです。

席を前のドアの近くへ寄せることも、朝にひとこと名前を呼ぶことも、定数とは関係がありません。

動かせない部分と、言えば動く部分が、同じ教室に混ざっていました。

支援学級にお子さんを通わせている方の投稿です。

制度の中で暮らしている人ほど、先生を責める気になれないのだと思います。


責められた選択は親のものではない

決めていたのは、それぞれ誰だったのか。

どの学級に在籍するかを決めたのは、市町村の教育委員会でした。

交流でどの授業に出るかを組んだのは、学校の時間割でした。

教室のどこに席を置くかを決めたのも、学校です。

そしてその時間に大人が付くかどうかは、住んでいる自治体と学校の体制が決めていました。

 

バッシングの矢は、ぜんぶ「親が選んだこと」に向かって飛んでいます。

ところが並べてみると、責められている場面の中に、母親が選べたものは一つもありません。

 

もうひとつ、取り違えられていたことがあります。

制度を知らないまま泣いた人だった、という読み方のほうです。

支援学級に籍を置いて、決まった授業だけ通常学級へ行く。

この形自体は、星野さんが説明を受けたうえで通っていた形でした。

知らなかったのは仕組みではなく、その仕組みが教室の中でどう動いていたか、です。

星野さんは「数か月も同じ状態で過ごしていたのかな」と話しています。

その数か月のあいだ、家のほうには何も届いていませんでした。

教室の中は、参観の日にしか見えません。

気づくのが遅かったのではなく、気づける日が年に数回しかなかった、ということです。

 

かといって、担任の先生に落ち度があったという話でもないんです。

「全国放送で晒した」という批判もありましたが、番組で先生の名前が出たわけでも、学校名が出たわけでもありません。

そもそも語られていたのは、ふうかさんが小学1年生だったころの出来事です。

いまは小学5年生ですから、3年以上前の話になります。

いま教室に立っている人の話ですらありません。

 

そして星野さんは、その言えば動く部分のほうを動かしています。

「これはおかしいんじゃないですか」と学校へ伝えたところ、すぐに対応してもらえたそうです。

そのあとは、みんなと一緒に授業へ入れるようになったと語られています。

話が通じた学校だった、ということです。

ここでいう「社会的な壁」は、たぶん人の心のことではありません。

1クラス何人まで、先生は何人まで、という数字のほうです。

 

だから、あの放送を見て「おかしい」と思ったこと自体は、間違っていなかったと思うんです。

おかしかったのは、後ろの席のほうですから。

引っかかった人と、涙を流した母親は、実は同じ場面を見て同じようにおかしいと言っていました。

ただ、悪者にする相手だけが違っていました。

誤解が解けても席はそこにある

とはいえ、誤解が解けたところで、話が終わるわけではありません。

ふうかさんの席は、母親が伝えたことで動きました。

けれど、伝えられる家庭ばかりではありません。

平日の授業参観に行ける人ばかりでもありません。

 

同じ数え方は、いまも全国の教室で使われています。

そこは何も変わっていません。

後ろにひとりで座っている子は、テレビに映らないだけで、ほかの教室にもいます。

 

今回いちばん厄介だったのは、怒った人のほうにも悪意がなかったことだと思います。

支援学級という言葉は、たしかに番組で出ていました。

けれど、涙の場面と制度の説明では、残り方がまるで違います。

片方は絵で入ってきて、もう片方は言葉でしか入ってきません。

その差が、そのまま誤解の大きさになりました。

 

星野さんが番組で語っていたのは、子どもが自分で居場所を選べる世の中になってほしい、ということでした。

この願いそのものに反対する人は、たぶんあまりいません。

それでも荒れたのは、願いと教室のあいだにある数字の話が、まるごと抜け落ちていたからだと思います。

だから「誤解でした」でこの話を閉じてしまうと、次は「調べてから怒れ」という説教になります。

テレビを見ている人に、そこまでの宿題は出ていません。

絵と言葉を同じ強さで並べられるのは、番組を作る側だけです。

 

それに、あの後ろの席も、どうにもならないものではありませんでした。

付き添える学校では、付き添っています。

 

次に似たような場面が流れてきたときに、すぐ誰かを悪者にせずにいられるかどうか。

私たちにできるのは、たぶんそのくらいです。

ただ、そのくらいで消える炎上も、けっこうあるんじゃないでしょうか。