大事な場で、上司に頼まれたスライドがなかなか画面に出てこない。

会社で働いたことのある人なら、背中に冷たい汗が流れる場面ですよね。

2026年11月2日、GMOインターネットグループの熊谷正寿代表が不正アクセスの問題で初めて開いた記者会見は、涙ながらの「号泣会見」としても話題になっていますが、その途中に、まさにその場面がありました。

熊谷代表が社員に「パワポすぐ使えるよう準備しときなさい」と声をかける切り抜き動画が出回り、「これってパワハラ?」とXで一気に広まっています。

ところがネットの声は、意外なほど「普通の指摘」「なんなら優しいくらい」に傾いているんです。

それなのに、どこか引っかかったまま画面を閉じられない。

会見で話題になった場面を整理しながら、その引っかかりがどこから来ているのかを、GMOがグループで共有している「スピリットベンチャー宣言」の言葉も手がかりに、わかりやすく解説していきます。


号泣会見で話題になった場面

まずは、何についての会見だったのかをおさらいしておきましょう。

問題になっているのは、グループの子会社GMOインターネットが運営する「お名前.com デスクトップクラウド」です。

FXの自動売買を24時間動かすために借りる、ネットの向こう側にあるパソコン(VPS)のサービスで、2026年10月21日に不正アクセスが公表されました。

利用者のFX口座のログイン情報が抜き取られて勝手に取引される被害が出たうえ、GMOが身代金の支払いを拒むと、攻撃者は利用者とされる人の個人情報をネットに公開し始めたと報じられています。

影響を受けた可能性のあるサーバーは、2万6,739件。

損失がどこまで補償されるのかは、こちらにまとめています。

夜明け前の部屋で下がり続けるチャートを映すノートパソコンと机の上の鍵
お名前.com不正アクセスの補償|GMOが払う損失と払わない損失「何ら負わないものとします」。 お名前.com デスクトップクラウドの規約には、サーバーへの接続などで生じた損害について、GMOがこう書...

 

11月2日の会見は公表から12日後に開かれ、産経新聞によると、午後7時前まで約3時間半続いたそうです。

熊谷代表は冒頭で「被害に遭われましたお客様と関係者の皆様に、心よりお詫び申し上げます」と頭を下げましたが、その長い会見の中で、ネットがざわついた場面はひとつではありませんでした。

「パワポ出して」と急かした場面

記者の質問に答えるため、熊谷代表は少し前に映したスライドをもう一度出すよう、「先程のパワポ出して貰えますか?」と頼んだのが始まりです。

切り抜き動画の字幕では、画面がなかなか切り替わらないまま「すぐ出ますか?」「時間かかるならかかるって言って?」と続き、最後に「パワポすぐ使えるよう準備しときなさい」と言い添えています。

 

謝罪中の担当者に「ボタン閉めて」

J-CASTニュースによると、別の質問でグループ会社の担当者が説明を始めたところ、熊谷代表は「ちょっとすまん」と話を遮り、ジャケットのボタンが開いていることを指摘したそうです。

「ちゃんとボタン閉めてください。あなた、お詫びをしているのにボタン開けてどうするんだ」

担当者がボタンを閉めると、熊谷代表は記者のほうへ向き直って「申し訳ありません」と謝り、説明はそのまま続いたとのこと。

 

「儲けると言ったことはない」と号泣

会見の途中、お客様の笑顔のために事業をしてきたという思いを語る中で、熊谷代表は31年間「儲ける」という言葉を使ったことがない、と涙を流し、この会見は「号泣会見」とも呼ばれるようになりました。

辞任の考えを問われたときも、ロイターによると、悪意に汚されたいまのインターネットを放置したままでは終われない、という流れで「人生かけて多くの方の笑顔に資するツールにしてから死なせてください」と答えて、退く考えを否定。

 

記者に返した「命の砂時計」

同じ趣旨の質問が重なると、熊谷代表は「同じ回答を二度すると、皆様の命の砂時計を無駄にする」と返し、「命の砂時計」はXのトレンドにも入ったと報じられています。

産経新聞によると、熊谷代表は自ら記者を指名して会見を進め、開始から3時間がたったところで「質問はあと5問で」と呼びかけてもいました。

 

「無差別殺人」とサイバーイージス構想

ロイターによると、攻撃については「以前は『拳銃』だったが、今は『機関銃』だ」「テロに例えるなら、今は無差別殺人だ」と表現し、海外からの悪いIPアドレスを止める「サイバーイージス構想」を高市政権に提案したい、とも語ったそうです。

10月に政府へ求めた「能動的サイバー防御」(国が攻撃元のサーバーに入り込んで被害を防ぐ仕組み)については、産経新聞によると「われわれが申請をして政府が動く制度ではない。『勘違いするな』と多数のお叱りをいただいた」と明かしていました。

 

笑顔の写真は「犯人への牽制」

騒ぎのさなかに自身のXへ笑顔の写真を載せたことについては、「被害に遭われた方へのお気持ちへの配慮が欠けていた」と謝ったうえで、犯人の要求に屈しない姿勢を見せる「牽制」のつもりだったと説明しています。

犯人側に動きがなければ、Xの発信は一定期間控えるとのこと。


パワハラとは言い切れない2つの場面

この中で切り抜きがいちばん広まったのが、パワポとボタンの2つの場面です。

この2つを見て「パワハラだ」と言い切れるかというと、正直なところ難しいですよね。

動画の熊谷代表は怒鳴ってはいませんし、言葉も「〜貰えますか?」「〜してください」と、基本は丁寧語のままです。

ネットでも「別に怒鳴ったりしてるわけでもなく、普通の指摘だろ」という声が、ずらりと並んでいます。

時間を無駄にしたくない、という思いの強さは、「命の砂時計」の受け答えにも、はっきり出ていました。

GMOがグループで共有・徹底している「スピリットベンチャー宣言」にも、「相手の時間を奪わない」「結論ファースト」という言葉があるくらいです。

大勢の記者を待たせているのに、スライドが出てこない。

急かすような言い方になったのは、この会社が大事にしてきた「時間を奪わない」という流儀が、そのまま顔を出したもの、と見ることもできます。

ボタンの注意も、「お詫びをしているのに」という言葉のとおり、謝る場でどう見えるかを気にした言葉です。

 

一方で、スライドを操作していた社員の側に立つと、景色は少し変わってきます。

カメラがずらりと並ぶお詫びの場で、急に「さっきのスライドを」と言われても、どれのことかすぐには分からないこともあるはず。

ただ、パワハラかどうかだけで見ていると、この会見でいちばん大事なところが抜け落ちてしまいます。

あの場面が引っかかる理由は、叱り方よりも、この会見で謝っていた中身にあるからです。


社長に届かなかった2年前の警告

今回の不正アクセスには、前段があります。

2024年4月24日、グループのセキュリティ子会社「GMOサイバーセキュリティ byイエラエ」が、今回破られたサービスの脆弱性(システムの弱点)を指摘していたんです。

産経新聞によると、エンジニア向けの詳しい説明会も開かれ、5月20日までに4回の緊急メンテナンスが行われたものの、GMOは「対策は十分ではなかった」と認めています。

会見で記者たちが繰り返し聞いたのは、その指摘がなぜ活かされなかったのか、でした。

日本経済新聞と日本テレビの報道によると、社内の情報報告の基準が整っていなかったために、2024年の指摘は熊谷代表まで「報告されていなかった」とのことで、熊谷代表はこの件を今回の事件で初めて知ったと明かしています。

日経の記事に寄せたコメントで、国立情報学研究所の佐藤一郎教授は「トップへの報告がなかったとの説明は、責任を軽くするどころか、重大なリスクを把握できない経営体制とも受け取られる可能性もある」と書いていました。

 

では、指摘はどこで止まっていたのか。

日経によると、当時グループの副社長で、いまは問題のサービスを運営するGMOインターネットの社長を務める伊藤正氏は、2024年の報告を自分は把握していたと認めました。

ただし、「個人端末が影響を受ける可能性は報告されていなかった」とも話しているそうです。

指摘そのものは副社長のところまで届いていたけれど、被害がどこまで広がりうるのかという肝心の部分は伝わらず、社長の耳にも入らないまま2年が過ぎていたことになります。

 

そう考えると、会見の2つの場面がまったく別のものに見えてくる。

スライドがもたつけば、社長がその場で気づいて正す。

ボタンが1つ開いていれば、話を遮ってでも直させる。

社長の目の前で起きたことは、その場で直るわけです。

そして今回つまずいたのは、社長の目の届かないところで起きていたほうでした。

ロイターによると、侵入そのものも、10月20日に利用者から問い合わせが来るまで会社側は確認できていなかったそうです。

ボタン1つにまで目が届く社長と、2年間その社長に届かなかった警告。

この2つが同じ日の会見に並んで映ってしまったことが、あの切り抜きの引っかかりの正体だと思います。


「早めに相談しよう」と書く会社

では、GMOはもともと、悪い知らせが上がりにくい会社だったのでしょうか。

公式サイトに全文が載っているいまの「スピリットベンチャー宣言」(2026年8月3日改訂)を読むと、書いてあるのはむしろ逆のことです。

  • 「情報の囲い込みはスピードダウンの元」
  • 「すべての情報をガラス張りにしよう」
  • 「早めに相談しよう」
  • 「人はミスをする生き物である」

セキュリティについても「お客様に安心・安全を届けるためにまずは自らの守りを固めよう」と、はっきり書かれていました。

 

言葉だけを読めば、子会社からの警告が真っ先に社長へ届いていてもおかしくない会社に見えます。

熊谷代表が会見で涙ながらに口にしたのも、「お客さまの情報を守れと言い続けてきた」という言葉だったんです。

それだけに、壇上で「準備しときなさい」と言われる社員の姿に、「この会社で悪い知らせを上へ持っていけるのか」という心配を重ねた人もいました。

「公開パワハラ」とまで言うのは、前の章で見たとおり言いすぎかもしれません。

2分ほどの切り抜きだけで、社内の空気まで分かるわけでもない。

ただ、悪い知らせを抱えた人にとって、上の人がそれをどんな顔で受け取るかは、報告するかどうかを決める大きな材料です。

熊谷代表も会見で、情報を上へ上げる仕組みについて「改善すべく議論をしている」と話しています。

「早めに相談しよう」と宣言に書く会社で、2年前の指摘は社長まで上がりませんでした。


報酬30%減のあとに決まっていないこと

GMOは会見と同じ日に、熊谷代表の月額報酬を3カ月間30%減らすなど、役員4人の報酬を減らすと発表。

ただ、もう1人のグループ副社長である安田昌史氏は「今回の件が発生したことへの現時点での評価だ」と述べ、検証の結果を踏まえて改めて経営責任のあり方を考えると説明しています。

利用者には一律5,000円の見舞金を払い、不正な取引による損失は補償する方針とのこと。

それでも、4,000万円の損失を受けた被害者が「ずっと恐怖と闘っている」と話していることを、NHKが伝えていました。

会見の前から、こう書いていた人もいます。

被害に遭った人にとっては、お金の補償と同じくらい、指摘された問題がなぜ2年かけても解決しなかったのかも知りたいところではないでしょうか。

その答えにあたる報告の仕組みは、会見の時点ではまだ議論の途中で、何がどう変わるのかは決まっていません。

 

壇上のパワポは、熊谷代表のひと声で画面に呼び戻されました。

2024年の警告が社長の耳に届いたのは、今回の事件が起きてからです。

あの細かさが2年前の警告にも向いていたら、と思わずにいられない会見でしたね。