MVの冒頭、部屋のテレビ画面に、アニメのシンデレラが映っている。

国民的バンドの新曲で、タイトルも『シンデレラ』となれば、ガラスの靴とお城の舞踏会を思い浮かべるのが自然ですよね。

ところが、Mrs. GREEN APPLEが2026年10月23日の深夜に公開したMVで、大人になった主人公が働いていたのはキャバクラでした。

赤いドレスで年上の男性客を迎え、薄暗い部屋で頭を撫でられ、その手に幼いころの父親の手を重ねる場面まで入っているんです。

「曲は良いのに」と「教養ない」を同じ一文で言いたくなる気持ち、分かる気がします。

ネットには、「かつての陰キャ」が成功してから遊びを覚えて、匙加減が分からなくなった感じがする、「大学デビューみたい」という声まで。

言い得て妙だと、思わずうなずいた人も多かったはずです。

その「大学デビュー感」がどこから来ているのかは、2年前に炎上した別のMVと並べると、はっきり見えてきます。


全部ひとりで決めた初監督作

「なんでわざわざキャバクラなの?」と引っかかった人も多いですよね。

『シンデレラ』は、2026年9月30日に発売されたアルバム『POPS』に入っている曲で、MVにはメンバーが一人も出てきません。

主人公を演じたのは、オーディションで選ばれた29歳の俳優・吉田紗梨。

公式の紹介では、思うように進まない日々の中で、主人公が「自分の愛し方を見つけてゆく物語」だと説明されています。

THE FIRST TIMESなどの報道によると、ボーカルの大森元貴がMVの監督を務めたのは、これが初めてだそうです。

監督だけでなく企画と脚本も本人が担当し、レコーディング中に浮かんだ構想を約8ページのプロットにまとめて、オーディションから撮影の全シーンまで自分で指揮したとのこと。

演技指導、カメラワーク、小道具や美術の細かいところまで向き合い、キャバクラの場面は実際に働く人へのヒアリングもしたと伝えられています。

曲を作ったのも大森元貴なので、音から映像まで、ほぼ全部がひとりの頭の中から出てきた作品ということ。

オリコンの報道では、公開から48時間たたずに再生回数が400万回を超えたそうです。

主人公の子ども時代と思春期と今を重ねる場面に、心を動かされたという声もあります。

ただ、とくに目立つのは、客の男性に頭を撫でられる場面への拒否反応でした。

cokiなどの報道によると、ミセスは2025年から東京ディズニーリゾートとのコラボを続けていて、夏のイベントのテーマソングも手がけてきたそうです。

そのミセスの新曲MVが、ディズニー映画を思わせる絵柄のアニメで始まり、子ども時代の憧れが夜の仕事へつながって、最後は客の手に父の手が重なる。

夜の仕事を描いたこと自体は気にならない、という声も少なくありません。

引っかかったのは、その並べ方でした。


2年前のコロンブスと同じ形

今回すぐに上がったのが、「前もMVでやらかしてたよね?」という声です。

思い出している人が多いのは、2024年の『コロンブス』。

2つを並べてみると、炎上の中身までよく似ています。

どちらも、作った側が考えていた物語と、観た側の頭に浮かんだ絵が、まったく別のものになっていたんです。

 

公開1日で止まったコロンブス

2024年6月12日に公開された『コロンブス』のMVは、メンバーがコロンブスら歴史上の人物に扮し、類人猿を思わせるキャラクターに人力車を引かせるといった描写が、植民地支配や差別を連想させると批判されました。

翌13日には所属レコード会社のユニバーサルミュージックが、「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていた」として、公開からわずか1日でMVの公開を止めています。

大森元貴は公式サイトで、時代を越えて人物たちがホームパーティーをするというフィクションのつもりだったと説明しました。

文書には「類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが」という一文もあり、スタッフと懸念点を確かめながら作っていたことも明かしています。

そのうえで「我々の配慮不足が何よりの原因です」と謝りました。

作る段階で危うさに気づき、確かめもしていたのに、観る人の目には別のものとして届いてしまった、ということ。

 

自分を愛する物語のシンデレラ

今回、公式が紹介している物語は、自分の愛し方を見つけていくお話。

ところが観た人の多くに浮かんだのは、ディズニー映画のようなプリンセスと夜の仕事、そして年上の男性客の手でした。

cokiの記事によると、2年前の大森元貴はMVの「プランニングディレクター」として関わっていたそうです。

今回は企画も脚本も監督も、本人。

今回の批判について、本人や所属先からのコメントは、10月26日の時点では報じられていません。

1回目のあとで、大森元貴がひとりで担う範囲は、小さくなるどころか広がっていたことになります。


「教養がない」が指しているもの

「教養がない」は、かなりきつい言葉です。

それでも今回、この言葉がしっくりきてしまった人は多かったと思います。

ネットには「教養(≠学歴)がない」と書いたうえで、「曲の創造性は当代屈指でも、社会的な想像力は、ちと乏しい」と続けた人もいました。

この人の言う教養は、学歴とは別の、社会的な想像力のこと。

言いかえると、自分が作った絵が、違う場所に立っている人の目にどう映るかを思い浮かべる力です。

歴史を知っている人には、類人猿が人力車を引く絵が何に見えるか。

娘を持つ親や、夜の仕事のしんどさを知っている人には、客の手と父の手を重ねる場面がどう見えるか。

身内だけの冗談をクラス全員の前で言ってしまったときのように、言った本人の中では意味が通っているのに、聞いた側には別の意味で届いてしまう。

そのすれ違いが、コロンブスとシンデレラで2回続いた。

「教養がない」とまで言われてしまうのは、この繰り返しがあるからなんですよね。

もちろん、まったく逆の見方をする人もいます。

一度コロンブスがあると、次の作品はどうしてもその色眼鏡で見られてしまうというのは、たしかにその通りです。

言論サイト「アゴラ」の記事も、夜の仕事を作品に出すことと、その仕事を勧めることは別だと書いていました。

批判の中には夜の仕事そのものを見下す強い言葉も混ざっていますが、それはMVへの違和感とはまた別の話。

そのうえで、色眼鏡で見られると分かっている2回目に、また同じ形のすれ違いが起きた。

想像力は、ひとりで鍛えるより、「外からはこう見えるよ」と言われるたびに育っていくものでもあります。


大学デビューに見えてしまう理由

「大学デビュー」と聞くと、大学に入ったとたん髪を明るくして、飲み会で加減を間違えてしまう、あの感じが浮かびますよね。

あれが見ていて気まずいのは、ふつうなら10代のうちに友だちの輪で「それはないわ」と笑われながら覚える加減を、あとからまとめて、人前で覚えようとしているから。

大森元貴の歩いてきた道を見ると、この絵と重なるところがあります。

2024年12月にテレビ番組で本人たちが語った内容として、モデルプレスが報じたところによると、小学校の卒業式でバンドを組んで自作の曲を披露したのが、音楽を始めたきっかけだったそうです。

そこから学校へ行く日が少なくなるほど曲作りに打ち込み、2013年にバンドを結成して、2015年には10代でメジャーデビュー。

30歳になったいま、出す曲がそのまま国民の耳に届く場所に立っています。

学校より曲作りに時間を注いだからこそ、あれだけの曲が書けるのでしょう。

ただ外から見ると、友だちに笑われて加減を覚える時期を通る前に、成功が先に来た人に見えてしまう。

本当に叱られたことがないのかどうかは、外からは分かりません。

それでも作品を見ていると、そう感じさせてしまう。

大学デビュー感の正体は、たぶんここにあります。

ふつうの大学生が加減を間違えても、笑うのは同じサークルの数人で済む話。

大森元貴の場合は、それが新曲のMVという、何百万回も再生される画面の上で起きてしまう。

一方で、ネットで一緒に挙がっている2026年6月のイベント『CEREMONY』の件は、少し分けて見たほうがよさそうです。

横浜のKアリーナで開かれたミセス主催のこのイベントでは、グラビアアイドルが10人以上来場を報告して、「どういう意図で招待してるのか」と騒がれました。

ただ女性自身の報道によると、招待された一人の麻倉瑞季は所属事務所に招待が来ていたと説明していて、事務所単位の招待だったようです。

加減のずれが2回続けてはっきり出ているのは、イベントの客席より、やはりMVの中身なんですよね。

大学デビューの気まずさを笑って止めてくれる友だちの役は、いまのミセスでは誰がやっているのか。


監督の隣に誰がいるか

今回の件でいちばん多く聞こえてくるのも、結局は、誰か止める人はいなかったのか、という声です。

あれだけの才能のある人に、正面から「それはやめておこう」と言うのは、たぶん簡単ではありません。

曲が売れていて、本人の頭の中に8ページ分の完成図があって、しかも監督まで本人となれば、なおさらです。

今回のクレジットを見るかぎり、企画も脚本も監督も、作品を形にする役はほとんど大森元貴ひとりに集まっていました。

「外からはこう見えるよ」と言える人が隣にいれば、と感じた人は多かったはず。

この件のモヤモヤの矛先は、大森元貴の人柄より、2年前とよく似た形でMVが世に出た、その作り方にあるのだと思います。

次のMVのクレジットに、大森元貴のほかに映像の責任を持つ名前が並ぶのか、それとも今回の形が続くのかは、まだ分かりません。

曲は良いのに教養がない、と言いたくなるのは、才能の隣に、加減を言ってくれる人の姿が見えないからかもしれませんね。