2026年9月4日の朝から、Xで同じ画像が何度も回ってきました。

ミシュランの星を獲ったラーメン店の店主が、飼い猫に噛まれて9日で亡くなった。

添えられていたのは、お店の公式アカウントの投稿を写した2枚のスクリーンショットです。

 

猫を飼っている人ほど、ここで手が止まったはずです。

本気で噛まれた経験なら、たいていの飼い主さんが持っています。

 

では、この話は本当なのでしょうか。

写っている投稿は、2022年9月のものでした。

そして当時、お店の側はこの見方をはっきり否定しています。

そのうえ出回っている画像からは、毎回のように1行が外されていました。

 

今回は、あの9日間に何が起きていたのかを順番に並べながら、猫に噛まれた日に本当に必要なことまで、まとめて解説していきます。

4年前の投稿がまた回ってきた

話の舞台は、東京・代々木上原の「Japanese Soba Noodles 蔦」です。

『ミシュランガイド東京2016』で、ラーメン店として世界で初めて星を獲ったお店でした。

そのオーナーシェフだったのが、大西祐貴さんです。

 

2022年9月14日の朝8時11分、お店の公式アカウントに1本目の投稿が出ます。

店主、腕負傷の為、調理困難となり臨時休業させて頂きます。

その24分後、8時35分に2本目が出ました。

今回いちばん出回っているのが、この投稿です。

大西です。すみません、昨晩愛猫に左手を本気で咬まれ、今朝起きたら腫れていて激痛です。

湯切りと鍋を持つことが困難だったので、おやすみしとりあえず今から皮膚科に行ってきます。

 

そして9日後の9月23日、同じアカウントから訃報が出ます。

オーナーシェフ大西祐貴が享年43歳にて急逝いたしました、と。

 

噛まれた報告と、訃報。

この2枚を並べて置かれたら、線を引かないほうがむずかしいと思います。

お店は猫と関係ないと説明した

じつは4年前も、まったく同じ形で線が引かれました。

訃報が出た9月23日、猫が原因だという話が一日で広がっています。

そのときの空気は、当時の投稿にそのまま残っていました。

実際に噛まれて入院した人が、自分の体験から言っているわけです。

悪意でもデマ拡散でもありません。

 

ただ、そのあとお店の担当者がはっきり答えています。

猫の件は死因と関係なく、急性心不全であった

猫が原因だという報道については、まったく根拠のない話だとも説明していました。

スポーツ紙やオリコンなどの記事にも、死因は急性心不全と書かれています。

 

つまり今回また回ってきているのは、4年前に一度否定された読み方のほうなんです。

否定の記事は訃報ほど読まれないまま流れていき、噛まれた投稿と訃報の2枚だけが画像として残りました。

 

ちなみに今回のリプ欄にも、同じ訂正がいくつも並んでいます。

噛まれた話と訃報が重なったことで誤解が広まったけれど、公式に出ている死因は急性心不全です。

そう書いている人が、何人もいました。

 

ところが、その訂正にさらに待ったをかけている人たちもいます。

医療の現場にいる人たちの指摘で、言っていることはこうです。

細菌の感染から心不全にたどりつく道は、ひとつではない。

敗血症を起こしても、心臓の内側に菌がついて感染性心内膜炎になっても、行き着く先は心不全になる。

これは厚生労働省の資料にも、そのまま書いてあることでした。

カプノサイトファーガで重症になった場合、敗血症からDIC(播種性血管内凝固症候群)、敗血症性ショック、多臓器不全へと進んで死に至ることがある、と。

 

つまり急性心不全という言葉は、最後に心臓が止まったことしか言っていません

その手前に何があったのかまでは、この一語だけでは決まらないわけです。

だからといって、やっぱり猫のせいだったと言えるわけでもありません。

お店は関係ないと説明していますし、外にいる私たちに確かめる手立ては、どこにもありませんから。

 

結局、この件で言えるのはそこまでです。

2枚の画像から死因を読み取れる人は、最初からどこにもいませんでした

それなのに、この4年ずっと読み取られ続けてきたわけでして。

9日のあいだに店は開いていた

ここでもう一度、9月14日8時35分の投稿に戻ります。

回っている画像は、たいてい「皮膚科に行ってきます」のところで目が止まります。

けれど投稿には、まだ2行ありました。

 

ご迷惑をお掛けし申し訳ございません。

金曜日には復帰出来るように致します

 

9月14日は水曜日です。

金曜日は、9月16日。

では、その週はどうなったのでしょうか。

 

お店の公式アカウントには、9月18日の朝にこんな投稿が出ていました。

9月18日の日曜日、お店は11時から15時まで開いています

しかも配っているのは、先日作り間違えたセットです。

作り間違えるためには、その前に厨房が動いていないといけないはずです。

翌19日は休業していますが、理由もはっきり書いてありました。

台風で食材が届かなかった。

体調の話ではありません。

 

流れが変わるのは、その次の日です。

ここから先、休む理由は書かれなくなりました。

そして3日後の9月23日に、訃報が出ます。

 

つまりあの9日間は、噛まれて寝込んだままの9日間ではありませんでした

週末には店が開き、月曜は台風で休み、火曜から様子が変わっている。

拡散されている2枚には、このあいだの日々がまるごと入っていません

スクリーンショットというのは、撮った人の画面の高さでそのまま切れるものです。

誰かが意図して落としたというより、あいだの日が最初から写っていなかっただけでしょう。

ただ、切れた画像が4年かけて何度も回ると、元のアカウントをさかのぼる人はいなくなります。

猫に噛まれて亡くなった人はいる

ただ、ここで「なんだデマか」と閉じてしまうと、もったいないところがあります。

この件は違った。

けれど猫に噛まれて10日ほどで亡くなった人は、実際にいます

 

2017年、野良猫に噛まれた50代の女性が、およそ10日後に亡くなりました。

原因はSFTS(重症熱性血小板減少症候群)というウイルス感染症です。

本人にマダニに刺された跡はなく、猫が先に感染していて人へうつったと見られています。

猫から人への感染が確認されたのは、このときが初めてでした。

ただ、あまり知られていないのが、女性が噛まれた相手のほうです。

衰弱した野良猫を動物病院へ連れて行こうとして、手を噛まれています

つまりその猫は、すでに具合が悪くなっていました。

 

国の感染症研究機関がまとめた報告には、SFTSを発症した猫の症状が並んでいました。

元気と食欲がなくなる。

9割以上に黄疸(おうだん)が出る。

8割近くが熱を出して、6割が吐く。

そして発症した猫のうち、およそ6割が死にます

猫が人を死なせる病気ではなくて、猫のほうが先に、しかも高い確率で死ぬ病気なんです。

世界で初めて発症が確認されたのも、2017年4月に和歌山県で見つかった1頭の猫でした。

だから、この話をうちの子にそのまま重ねなくて大丈夫でしょう。

気をつける場面は、目に見えて弱っている猫に触るときのほうです。

弱った野良猫を拾う人と、動物病院で働く人。

いちばんリスクが高いのは、猫を助ける側に立っている人たちなのだと思います。

 

もうひとつ、名前だけでも覚えておきたいのがカプノサイトファーガ感染症です。

厚生労働省の資料によると、国内では1993年から2017年末までに93例が確認され、そのうち19例が亡くなっています

敗血症まで進んだ場合は、およそ26パーセントが亡くなるとされていました。

 

ただ、その93例の内訳まで見ると、犬に咬まれた例が52件で、猫は20件です。

厚生労働省自身も、咬まれた数に比べて報告がとても少ないので、この病気は稀にしか発症しないと書いていました。

患者の平均年齢は約64歳で、40代以上が9割を超えています。

つまり「猫に噛まれて9日で」という時間の幅そのものは、医学的にありえない話ではありません。

この件が違ったというだけのことです。

猫の口の中にいる菌の話

いちばん身近なのは、パスツレラ菌です。

現役の内科医で作家の知念実希人さんが、6月にこう書いていました。

ほぼ100パーセントの猫の口の中にいる、というところが大事なところです。

特別に不潔な猫の話ではありません。

やっかいなのは、猫の歯のかたちのほうでした。

細くて鋭いので、表面の穴は小さいのに、奥は深く届いています

入口がすぐふさがるぶん、菌が中に閉じ込められる形になるわけです。

 

大阪市の資料には、パスツレラ症は早いときは1時間以内に発症すると書かれていました。

咬まれたところが腫れて痛み、そこから皮膚の下の炎症が急に広がって、蜂窩織炎(ほうかしきえん)になることがある。

まれに、敗血症まで進む。

翌朝まで様子を見よう、では間に合わない速さです。

もっとやっかいなのが、カプノサイトファーガのほうでした。

厚生労働省の資料には、傷が小さくても感染する可能性があるとはっきり書かれています。

しかも重症になった人の傷口には、腫れのような目立つ変化が出ないことが多い。

どこから来た炎症なのかが、診ている医師にも分からなくなるわけです。

 

一方で、猫ひっかき病のようにふつうは自然に治っていくものもあります。

1週間ほどで傷のところにブツブツが出て、そのあとリンパ節が痛みを伴って腫れる。

数週間から数ヶ月かかることはあっても、たいていはそのまま治ります。

子猫の保菌率が高い、という特徴もありました。

ここまで来ると、家にある消毒液や絆創膏では、もうどうにもなりません。

さっき出てきた投稿の人も、朝噛まれてその日の夜に病院へ行って、そのまま緊急入院になっていました。

噛まれた当日のうちに、です。

 

体験談はネットにいくらでも残っていて、10年前のものでもいまだに読まれ続けていました。

噛まれた日にやることは決まっている

ここまで来ると、やることは案外はっきりしています。

まず、石けんと流水で傷口をよく洗う

厚生労働省が最初に挙げているのも、これでした。

あわせて、その傷を猫になめさせないことも書かれています。

 

そのうえで、同じ資料にもうひとつ、意外な一行が入っていました。

猫に噛まれたことを、家族に言っておく

 

これは、あとで自分が動けなくなったときのための一行です。

カプノサイトファーガの重症例は進みが早いうえに、傷口を見ても原因までは分かりません。

運ばれた先で「猫に噛まれました」と誰かが言えるかどうかで、治療の始まりが変わってしまうわけです。

菌の名前が判明するのを待たずに薬を始めるしかない病気なので、そこは家族の一言が持っています。

 

大阪市が挙げている普段の注意も、拍子抜けするくらい地味なものばかりでした。

口移しやキスをしない。

傷口をなめられないようにする。

猫に触ったら手を洗う。

ノミの駆除をしておく。

特別な道具も、余分なお金もいりません。

そして、病院へ行く目安です。

血が止まらない。

ジンジン、ズキズキする。

腫れてくる。

この3つのどれかが出たら、その日のうちに受診する、という線の引き方です。

糖尿病や肝臓の持病がある人、免疫を抑える薬を飲んでいる人は、もう一段早めに動いたほうがいいでしょう。

ただ厚生労働省の資料では、持病のない健康な人の発症も同じくらい報告されているので、自分は元気だから大丈夫、とは思わないほうが安全です。

 

ちなみに大西さんも、腫れに気づいたその朝のうちに皮膚科へ向かっていました。

湯切りと鍋が持てないと書いていたくらいですから、痛みはかなりのものだったはずです。

 

日本神話に、因幡(いなば)の白兎という話があります。

サメをだまして海を渡ろうとして皮をはがれた兎が、通りかかった神々に「海水を浴びて風に当たれ」と教えられ、かえってひどくなってしまう話です。

あとから来た大国主命(おおくにぬしのみこと)に真水で洗うよう言われて、ようやく治りました。

傷の手当てを自己流でやると悪くなる、という話は1300年前から語られていたわけです。

猫が悪者になったわけじゃない

4年前も、今回も、回り方はまったく同じでした。

噛まれた投稿と訃報。

その2枚だけが切り取られて、あいだの9日はまるごと落とされたまま運ばれていきます。

抜けたところがあると、人はそこを自分で埋めてしまいます。

だから今回広めた人たちを、責める気にはなれません。

あの2枚を続けて見せられたら、たいていの人が同じ順番で読むと思いますから。

 

ただ、落とされた日々の中には、本人が書いた一行がちゃんと残っていました。

金曜日には復帰出来るように致します。

この一行を入れて読み直すと、話の形はまるごと変わります。

そしてあの猫が飼い主を死なせた、と言い切れる材料は、いまも出てきていません

お店が関係ないと説明してから、もう4年たちました。

 

だからといって、噛まれても平気だという話にはなりません。

猫の口の中に菌がいるのは本当ですし、噛まれたことがきっかけで亡くなった人が実際にいるのも本当です。

この2つは矛盾しないので、どちらも別々に持って帰れます。

 

今夜、うちの子に本気で噛まれたとしましょう。

やることは、石けんと流水で洗ってから、血が止まらないか、ジンジンするか、腫れてくるかを見る。

どれかが出たら、明日にしないで今日のうちに病院へ行く。

これだけで、たいていの最悪は起きません

 

猫を悪者にしなくても、噛まれた日を軽く見なければ、それで足りるのではないでしょうか。

4年前のあの投稿にあった「金曜日には復帰出来るように致します」という一行は、そのくらい当たり前に、噛まれた日の先を見ていた人の言葉でした。

 

大西祐貴さんのご冥福を、あらためてお祈りします。

この記事で参考にした資料

病気に関わる話なので、気になったところを自分でも確かめられるように、読んだものを全部並べておきます。

猫や犬に噛まれたときの感染症について

 

猫からのSFTSについて

 

急性心不全という言葉の読み方について

  • 厚生労働省「カプノサイトファーガ感染症に関するQ&A」(重症化した場合に敗血症から多臓器不全へ進む経過について)
  • X上で医師・医療従事者から出ていた指摘(2026年9月4日)

 

大西祐貴さんの訃報と死因について

  • オリコンニュース「ミシュラン星獲得のラーメン店『蔦』大西祐貴さん、急性心不全で死去 43歳」(2022年9月23日)
  • 女性自身「愛猫に噛まれた10日後に訃報…ミシュラン一つ星ラーメン店店主」(2022年9月23日)
  • Japanese Soba Noodles 蔦 公式アカウントの投稿(2022年9月14日〜9月23日)

 

なお、この記事は医療の専門家が書いたものではないので、噛まれたあとに腫れや強い痛みが出たときは、この記事を読み返すより先に病院で診てもらってください。