名古屋・栄で、マンションの11階から飛び降りた男とぶつかり、23歳の女性が命を落としたのは、2026年7月19日の未明でした。

その女性の父親が、一命を取り留めた男と警察署で3回顔を合わせていたことが、10月に入って報じられています。

面会の場で、父親はこう問いかけたそうです。

「下に人がいようがいまいが、死のうが死ぬまいが知ったこっちゃないと思って飛んだんだろ」

返ってきたのは、「はい。そうです」という一言でした。

それでも、男の容疑はいまも重過失致死、つまり大きな不注意で人を死なせた罪のままです。

父親が殺人罪の適用を求めて始めたオンライン署名には、2026年10月21日の時点で4万7000筆を超える賛同が集まっています。

2024年8月にも、JR横浜駅のビルから飛び降りた女子高校生に、歩いていた女性が巻き込まれて亡くなる事故がありました。

そのとき、こんな声が広がっています。

本人が認めたように聞こえるのに、なぜ殺人罪へはすんなり進まないのか。

そして、殺人として扱われるか過失として扱われるかによって、遺族が国から受けられる支えまで変わってしまいます。


面会室で返ってきた「はい」

飛び降りたのは29歳の男で、現場は12階建てマンションの11階のベランダでした。

男は一時、意識不明の重体でしたが、その後は会話ができるところまで回復しています。

愛知県警が男を重過失致死の疑いで逮捕したのは、2026年8月27日のこと。

 

父親はすぐに面会を申し込み、男が精神状態を調べる鑑定留置に入る前までに、愛知県内の警察署で計3回向き合いました。

男は車いす姿で、「大切な娘さんをこういう形にさせてしまって申し訳ありませんでした」と謝ったといいます。

その謝罪を、父親は「正直誰にでも言えますよね」と受け止めています。

事件の翌日は、父親が娘と9か月ぶりに一緒に夕食をとる約束をしていた日だったといいます。

 

謝るだけなら、事件のとき何を考えていたかを話さなくても済みます。

父親が面会室でぶつけたのは、下に人がいてもいなくても構わないと思って飛んだのか、という問いでした。

実はこの聞き方は、法律が殺すつもりの有無を確かめるときの問いと、ほとんど同じなんです。


殺人罪の手前にある2つの壁

殺人罪が成り立つには、殺すつもりがあったこと、つまり故意が要ります。

ただ、ここでいう故意は「殺してやる」とはっきり狙った場合だけではありません。

「死ぬかもしれない、それでも構わない」と思って行動した場合も含まれ、これを未必の故意と呼びます。

「死ぬかもしれないと思った」だけなら、重過失致死にとどまる見方が強くなります。

そこから一歩進んで、「死んでも構わない」まで認められるかどうかが分かれ目です。

面会での「はい」は、下を歩く人が死んでも構わないと思ったか、という問いに答えたように聞こえます。

 

ところが、壁はもう一つあります。

テレビ番組で取材に答えた弁護士は、こう話していました。

「11階から飛び降りた場合、仮に下に通行人がいたとしても当たるかどうかは全く分からない。そういった状態を客観的に判断すると、殺人罪としての実行行為性が認められるかというのは、簡単ではない」

実行行為性というのは、その行動そのものが、人の命を奪う危険を十分に持っていたかという問題です。

同じ石を投げるにしても、人混みへ向けて投げるのと、誰もいない空き地へ投げるのとでは意味がまるで違いますよね。

男にどんな気持ちがあったかと、その行動にどれだけ人を死なせる危険があったかは、別々に問われます。

 

「はい」が関わるのは、このうち気持ちの壁だけです。

 

この「簡単ではない」には、別の弁護士から反論も出ています。

2026年10月21日に配信されたABEMA Primeでは、殺人罪の適用を主張する弁護士が、銃の免許を持たない人が下へ向けて引き金を引き、人に当たって死なせたとして、「当たるかもしれないが大丈夫だと思った」と言っても誰も信じない、と例えたうえで、「人が飛び降りるのは銃よりよほど殺傷能力がある」と話しました。

飛び降りた体はわずかな力の違いで落ちる場所が大きく変わり、真下だけでなく周りを歩く人にも当たりうるので、その危険を分かっていて飛んだこと自体が、「当たっても構わない」と思っていたことをうかがわせる、という見方です。

殺人事件の捜査をしてきた元検事の弁護士も、面会での男の言葉や人通りの多さは「立証の可能性を高める事情になる」として、「捜査機関が丁寧に捜査をすれば、難しいが立証できる可能性はある」と話しています。


父親が深夜に数えた300人

2つ目の、行動の危険さについては、父親が自分の足で確かめに行っていました。

事件のあと、父親は何度も現場を訪れ、事件と同じ午前1時ごろの人通りを数えています。

2時間足らずのあいだに、300人近くが目の前を通っていったそうです。

1分に2〜3人が、真下の歩道を通っていた計算になります。

 

報道によると、現場は深夜でも街灯や店の明かり、車のライトが歩道を照らす大通り沿いです。

父親は、娘が下を歩いている姿も上から見えていたはずだと話していました。

専門家によると、落ちてきた人とぶつかったときの衝撃は、1〜3トンに及んだ可能性があるといいます。

乗用車1台から2台分ほどの重さです。

もし落ちてきたのが重たい荷物だったら、と考えた人もいました。

人通りの絶えない歩道へ、それほどの衝撃になるものが落ちていく。

落ちてきたのが人の体だったというだけで「不注意」の扱いになるのは、やはり納得しにくい話です。

 

弁護士の言う「当たるかどうかは全く分からない」は、11階から落ちる体が真下の誰かに当たるかどうかは分からない、という理屈です。

けれど、2時間で300人近くが通る歩道で、本当に「分からない」と言い切れるのか。

父親が数えた300人は、その「分からない」が本当に言い切れるのかを、数字で考える材料になります。


鑑定留置で調べられる「心」

名古屋地検は2026年9月8日、男の鑑定留置が始まったと明らかにしました。

調べるのは事件のときの刑事責任能力で、期間は2027年1月13日まで。

 

鑑定留置というのは、医師が一定の期間をかけて、容疑者の当時の精神状態を調べる手続きです。

刑事責任能力は、善し悪しを見分けて、その判断どおりに自分を抑えられる力のことを指します。

この力がまったく無かったとされれば罰せられず、著しく弱かったとされれば刑が軽くなる、という決まりが刑法にあります。

 

自殺した理由と、無関係の人を巻き込んだ話は、分けて語るべきだという声があります。

ただ、殺人として裁こうとすると、自殺に至った理由を脇へ置いておくことはできなくなります。

殺人罪で問うなら、事件のとき男が何を考えていたのかを、裁判の場で問われます。

なぜ死のうとしたのか、そのとき下が見えていたのか、構わないと思えるだけの判断力があったのか。

 

ネットには「このまま罪に問われなくなるのでは」という不安の声も出ています。

ただ、2026年10月16日には、大阪府和泉市で母娘が殺害された事件で、鑑定留置を経た元交際相手が殺人罪などで起訴(裁判にかけること)されています。

鑑定留置に入ったからといって、罪に問われないと決まったわけではありません。


「死刑にすればいい」が届かない相手

殺人罪で裁かれれば、法律の上では死刑までありえます。

ネットのコメント欄では、「死にたかったんだから死刑にすればいい」という声も繰り返し書き込まれています。

怒りとしては、もっともです。

ただ、死のうとしていた人にとっては、死刑が重い罰になるとは限りません。

逮捕が報じられた8月には、飛び降りた側に立って、こんな想像をした人もいました。

父親が求めているのは、殺人罪の適用と、被害者や遺族に寄り添った法改正です。

テレビの取材に、父親はこう話していました。

「第三者が死亡しているというのは事実。やはり事故として扱ってほしくない。それをもし今の法律で変えられないのであれば、もっと被害者、娘や遺族のために寄り添った法律や法改正をしていただきたいと思います」

こだわっているのは、娘の死に付けられる「事故」という呼び名です。

同じABEMA Primeでも、父親は娘の死が不幸な事故として片付けられることへの納得のいかなさを訴え、「娘は誰かの命を守るために犠牲になったわけではない。そのことだけは皆さんに知っていただきたい」と話し、「最後の最後まで戦って訴えていきたい」と続けました。


罪名で変わる遺族への支え

人の命を奪う犯罪の被害にあった人の遺族には、国が給付金を支払う「犯罪被害給付制度」という仕組みがあります。

加害者から賠償を受け取れないことが多い遺族を、国が支えるための制度。

この制度を定めた法律(犯罪被害者等給付金支給法)には、対象になる行為から「過失による行為」を除くと書かれています。

 

一方で、同じ条文には、心神喪失、つまり責任能力がまったく無いとされて罰せられない行為も対象に含める、とも書かれています。

つまり、責任能力が無いとされて罰を受けない場合でも、わざとの行為なら制度の対象に入り、過失の扱いなら外れるということです。

責任能力が無いとされても、わざとの行為と扱われるなら、遺族が国の給付金を受け取れる道は残されています。

 

ただし、飛び降りた側が「過失」と扱われれば、巻き込まれた人の遺族は、この給付金の対象から外れます。

遺族が給付金を受け取れるかどうかが、飛び降りた側の「つもり」ひとつで決まってしまうのです。


過去の3件と違うところ

繁華街で、飛び降りた人に通行人が巻き込まれる事故は、これまでにも起きています。

  • 2020年10月 大阪・梅田の商業施設で、屋上から転落した高校生と、地上にいた女子大学生が衝突
  • 2024年8月 JR横浜駅のビル「JR横浜タワー」で、12階から飛び降りた女子高校生が、歩いていた会社員の女性を巻き込む
  • 2025年5月 大阪市北区のタワーマンション43階から飛び降りた男性と、自転車で通りかかった男性が衝突

3件とも、飛び降りた人と巻き込まれた人の両方が亡くなりました。

飛び降りた側は、本人が亡くなったまま重過失致死の疑いで書類送検(検察へ事件を送る手続き)され、その後、不起訴(裁判にかけないこと)になっています。

裁判の場で「殺人にあたるのか」が争われるより前の段階で、どれも終わっていたわけです。

 

3件と違って、名古屋の件では、飛び降りた男が生きていて、父親の問いに自分の口で答えることができます。

だからこそ、ここで出る判断は、この先の同じような事故の扱いにも響きます。

父親は、取材にこう訴えています。

「人が通る場所に飛び降り、誰かを巻き込んで殺しても、自殺目的であれば過失にしかならないという悲惨な前例を残すことになる」

署名の数で罪名が決まるわけではありませんが、4万7000筆を超える署名は、殺人か過失かの分け方に違和感を持つ人が、それだけいるということです。

 

起訴するかどうか、どの罪で起訴するかは、2027年1月13日までとされる鑑定留置の結果を踏まえて、検察が決めます。

その先は、起訴される場合と、起訴されない場合の大きく2つに分かれます。

1つは、起訴されて裁判になる場合。

このとき、罪名が重過失致死のままでも、遺族は申し出て裁判所が認めれば、「被害者参加制度」で裁判に加わることができます。

刑事訴訟法は、遺族が参加できる事件として、わざとの犯罪だけでなく、重過失致死も挙げているからです。

参加した遺族は、法廷で男に直接質問することを申し出ることもできます。

父親が面会室で投げかけたあの問いを、今度は裁判の記録に残る場で、もう一度男にぶつけられる道があるということです。

 

もう1つは、起訴されない場合。

その場合でも、遺族は検察審査会に審査を申し立てることができます。

検察審査会は、くじで選ばれた市民が、起訴しなかった検察の判断を見直す仕組みです。

人通りの多い場所から飛び降りて人の命を奪っても、「死ぬつもりだった」という理由で過失の扱いになれば、遺族への給付金まで対象から外れてしまう。

父親が法改正まで求めているのは、まさにこの、飛び降りた側の「つもり」ひとつで扱いが分かれてしまう点で、私もそこはおかしいと思います。

亡くなられた女性のご冥福を、心よりお祈りいたします。