子どもの音読の宿題を聞いていて、同じ行で何度もつっかえたり、書いていない言葉を勝手に足して読んだりするのに、思わず口を挟みたくなったことはありませんか。

2026年9月25日、文部科学省が、2030年度以降に始まる次の学習指導要領(学校で何をどれだけ教えるかを国が決めたもの)で、小学3年生から中学3年生の国語や算数などの授業を、いまより一律に3〜4%ほど減らす方針を示したと報じられました。

減らした分は、新しく広げる「情報」の授業に回すとのこと。

ネットでは「順番が逆では」「国語と算数を削ってまで教えることなのか」という声が、あっという間に広がっています。

読み書きの土台がまだ固まりきらないうちに、タブレットやAIの使い方を先に教えるのか、というモヤモヤ。

今回は、この授業削減のニュースをきっかけに、タブレットや動画、AIが子どもの「読む・書く・考える」にどう影を落としているのか、そして国語と算数がなぜ削れない土台なのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。


国語と算数も「広く薄く」削られる

朝日新聞の報道によると、次の学習指導要領では、小学3年生以上の「総合的な探究の時間」に「情報の領域」が加わり、中学校には「情報・技術科」という教科が新しくできるそうです。

ところが、1年間の授業の総数は法令で決まっていて、そこは増やさない方針。

そこで出てきたのが、国語や算数を含む各教科から少しずつ時間を出し合う、という案でした。

 

9月25日に中央教育審議会(文部科学大臣の相談を受けて教育の方針を話し合う会議)の部会へ出された「審議まとめ(案)」には、特定の教科だけを減らすのは適当ではないとしたうえで、こう書かれています。

「一律で3-4%程度の時数を言わば『広く薄く』減ずる」。

どれか1つの教科に痛みを押しつけないための理屈で、そこには筋も通っています。

 

実際に減るのは、たとえば国語が年間245コマある小学3年生で7〜10コマほど、算数が175コマの小学5年生で5〜7コマほどの計算。

道徳のように年間35コマ以下の教科は減らさないこと、減った教科も「必要な学習内容は維持する」とされていることも報じられていて、細かい削り幅は2026年度末までに決めるそうです。

教育政策が専門の末冨芳・日本大学教授も、ニュースのコメント欄で「授業時数が大幅カットであるかのような見出しに惑わされそうになりますが」と書いていて、数字だけ見ればうなずけるところはあるんですよね。

 

それでも、この発表にモヤモヤした人は少なくありません。

「今でも作文まで手が回っていない」とあるように、国語はもともと時間が足りていないと感じられている教科。

そこへさらに「少しなら削ってもいい側」に入れられたという扱いに、多くの人が引っかかっているんです。


答えが書いてあるのに見つけられない

「そもそも今の子は、国語の時間が足りているのか」という心配は、親の実感から出てきたものでもあります。

今回のニュースのあと、子どもを見ている大人たちから、こんな声が次々と上がっていました。

文章の中に答えがあるのに、それを拾えない。

ネットにはほかにも、下校中の小学生が近所の植木鉢を割ってしまい、先生の指導で書いたお詫びの手紙に「花瓶」と書いた子が多かったという投稿や、昔話の「一寸法師」を読んでも「茶碗の舟に箸の櫂」がどれほど小さいのか想像できない、という声まで並んでいました。

どれも、言葉と、それが指しているものがうまく結びついていない例です。

 

数字の上でも、気になる動きが出ています。

2026年9月に公表された国際的な学力調査(PISA2025)で、日本は3つの分野すべてでOECD(先進国を中心とする国々でつくる国際機関)加盟国の中の1位でしたが、読解力は前回から13点下がり、速く正確に読む力を見る問題の正答率も下がったそうです。

成績の低い層の割合も、3分野そろって増えていました。

読書の面でも、全国学校図書館協議会の調査で、1か月に1冊も本を読まなかった小学生が9.6%と、ここ20年あまりで初めて9%を超えたことがわかっています。

順位ではトップを守っているのに、足もとの「読む」がじわじわ細っているんですね。

ここで早合点したくないのは、子どもの頭の出来が昔より悪くなった、という話ではないことです。

変わったのは、子どもが毎日ふれている「読み方」のほう。


タブレットと動画が肩代わりしているもの

情報の授業が増えれば、学校で画面に向かう時間もそのぶん増え、家でのスマホや動画とあわせて、子どもが画面で文字や映像にふれる時間はますます長くなっていきます。

そしてタブレットも動画も、それ自体を悪者にしたいわけではありません。

ただ、どちらも「分かるまでの手間」を上手に省いてくれる道具で、その省かれた手間こそが、読む力や書く力を育てていた、という指摘が研究の側から積み上がっています。

 

紙より頭に残りにくい画面の文章

スペインの研究者らが、紙と画面で読んだときの理解を比べた54の研究(17万人以上)をまとめた2018年の分析では、紙で読んだほうが内容の理解が良いという結論でした。

差がはっきり出たのは説明文で、スクロールしながら読むと差が広がる傾向もあったそうです。

2019年の別の分析では、画面で読んだ人ほど「自分はちゃんと分かった」と見積もりがちだ、という点も指摘されていました。

「疲れる割には覚えない」は、大人でも身に覚えのある感覚ではないでしょうか。

 

手で書くときだけ働く脳

ノルウェー科学技術大学が2024年に発表した研究では、ペンで文字を書いているときは脳の広い範囲が連動して働くのに、キーボードで打つときにはそれが見られなかったと報告されています。

漢字を何度も手で書いて覚えるのも、形を写すだけの作業ではなかったのかもしれません。

 

場面を先に見せてしまう動画

動画は、場面も声も表情も、全部を先に見せてくれます。

とても親切ですが、そのぶん言葉だけを手がかりに頭の中で場面を組み立てる、という練習の出番がなくなってしまうんです。

「茶碗の舟に箸の櫂」が絵として浮かんでこないのも、言葉から絵を描く回数そのものが減っていることと無関係ではない気がします。

全国学力テストの2024年度の集計では、平日にスマホでSNSや動画を見る時間が4時間以上の小学6年生は、30分未満の子より算数の正答率が16ポイント低かったという結果が出ていました。

時間が長いから成績が下がる、と一直線に言い切れるわけではありませんが、同じ向きのデータが毎年出ているのも事実です。


削る案と同じ書類にあったAIへの注意書き

授業の削減が報じられたのと同じ9月25日、同じ審議のまとめ案について、毎日新聞はまったく別の角度の記事を出していました。

国語で文章を要約したり、自分の考えを最初に文章にまとめたりする場面では、AIを使うことに慎重になるべきだ、という中身。

まとめ案には、「思考・判断・表現の過程が生成AIに代替されないよう特段の留意をする必要がある」とまで書かれていたそうです。

英語の宿題についても、「単にAI翻訳を提出すれば済むような出し方をしない」と念を押しています。

さらにまとめ案の国語の章には、キーボードで文字を打つ機会が増えても「書字能力は全ての学びを支える基礎」であり、小学校では手書きの書写を丁寧に教える、という一文も入っていました。

 

文科省も、道具が考える道のりを横取りしてしまう怖さは分かっているわけです。

そこまで分かっているなら、なぜ時間を削る側に国語と算数を入れたのか…というツッコミは、どうしても出てきてしまいますよね。

「道具が代替する作業」と「道具を使いこなす基盤」を分けて考える、というこの投稿の整理は、文科省がまとめ案で書いている注意書きと同じ向き。

 

そう考えると、この件は「授業が何コマ減るか」の話に見えて、実は子どもが自分の頭で遠回りする時間を、どこに残しておくかの話なんです。

タブレットも動画もAIも、答えまでの道を短くしてくれる道具。

国語と算数はその道を自分の足で歩いてみる数少ない時間なので、「広く薄く」の中に一緒に並べられて多くの人が落ち着かないのも、無理はありません。

 

AI時代にこそ効いてくる国語と算数

では、国語と算数は、ほかの教科と何が違うのでしょうか。

情報の授業でプログラムを組むにも、調べた内容を比べてまとめるにも、最後に頼りになるのは文章を読む力と、筋道を立てる力です。

言ってみれば、情報の授業は国語と算数という1階の上に建てる2階のようなもの。

2階を広げたい気持ちは分かりますが、そのために1階の柱を少しずつ細くしていくのでは、話の順番があべこべです。

 

すべての教科の土台になる国語

はっきり言ってしまえば、国語はすべての教科の土台。

理科の実験の手順も、社会の資料も、算数の文章題も、英語の長文も、まず日本語で読んで意味をつかめなければ、入口にすら立てません。

国語の力が足りないまま、ほかの教科の点数だけを伸ばそうとしても、どこかで必ず行き詰まります。

国語で身につくのは、ものを考えるときに使う言葉そのものです。

知らない言葉では考えられませんし、知らない言葉は、調べようと思うことすらできません。

AIに何かを頼むときでさえ、欲しいものを言葉で正確に伝えられなければ、狙った答えは返ってこないんです。

 

答えを自分で確かめる算数

算数で身につくのは、筋道を一歩ずつ積み上げて、答えが合っているかを自分で確かめる力。

AIや電卓が出した答えを見て「桁がひとつおかしくない?」と気づけるのは、自分で見当をつける感覚がある人だけです。

しかも算数の文章題は、問題文が読めなければ式すら立ちません。

「普通に読めること」がいちばん難しい、という指摘には、子どもを見ている人ほど心当たりがありそうですね。

AIに聞けば答えだけはすぐ手に入る今、思い出されるのが、2500年ほど前の孔子の言葉を集めた『論語』の「学びて思わざれば則ち罔し」(教わるだけで自分で考えなければ、ものごとはぼんやりしたまま)という一節です。


紙に戻したスウェーデンと家でできること

「そうは言っても、これからはデジタルの時代でしょう」と感じる人もいるはず。

その答えのヒントになるのが、教育のデジタル化で先頭を走っていたスウェーデンです。

スウェーデンでは2023年、当時のロッタ・エドホルム学校相が紙の教科書を増やす方針を打ち出し、政府はそれから毎年、教科書を買うための予算をつけています。

きっかけのひとつが、国内有数の医科大学であるカロリンスカ研究所の意見書でした。

デジタル機器は学びを良くするより悪くするおそれがあり、紙の教科書と先生の力による学びに重点を戻すべきだ、という内容です。

学校でのICT(パソコンやタブレットなどの機器)の活用を支援している人がこう書いている、というところに重みがありますね。

 

ただ、その意見書にも「一部のデジタル教材は学習にプラスになりうる」と書かれていて、文科省のPISA2025の資料にも、学校で端末を「適度に」使う生徒のほうが点数が高かったという分析が載っています。

大事なのは、何を道具に任せて、何を子ども自身にやらせるかの線引き。

家庭でできることも、その線引きに沿えば案外シンプルです。

  • 音読の宿題は、つっかえても最後まで聞く
  • 調べものの前に、まず紙の本や辞書を1回ひらく
  • 動画のあとに「どんな話だった?」と言葉で言ってもらう

読ませるものは、本でなくても漫画でかまいません。

コマとコマのあいだを自分で補いながら、ふきだしの言葉を追っていく漫画は、かなり頭を使う読みものなんです。

情報の授業が増えること自体は、これからの子どもにとって必要な面もあるのでしょう。

それでも、手で書く力を「全ての学びを支える基礎」と呼び、考える過程をAIに渡さないようにと念を押した同じ書類の中で、その練習の時間を少しずつ削る案が並んでいるのは、ちぐはぐだと感じてしまいますね。