2026年11月2日、GMOインターネットグループの熊谷正寿代表が開いた記者会見をきっかけに、29年前の山一証券の会見がXで次々と掘り起こされています。

不正アクセスへのお詫びの場で、熊谷代表が涙ながらに語り始めると、2014年の号泣会見で知られる元兵庫県議の名前を挙げて、「野々村議員みたい」という声が一気に広がりました。

そこへ重なるように増えていったのが、「熊谷社長の会見で山一証券を思い出した」という声です。

山一証券の会見も、社長が涙を流しながら頭を下げた「号泣会見」でした。

同じ号泣会見なのに、山一証券は29年たっても「神会見」と呼ばれています。

3つの会見を並べてみると、その分かれ目は涙とは別のところにありました。


「社員は悪くありませんから」山一証券の号泣会見

山一証券は、かつて「四大証券」のひとつに数えられた大手の証券会社です。

1997年11月24日、その山一証券が臨時取締役会で営業をやめることを決め、自主廃業を発表しました。

決め手になったのは、帳簿に載せずに隠されていた損失、いわゆる「簿外債務」で、その額は2,648億円にのぼったと報じられています。

 

会見は午前11時半から東京証券取引所で開かれ、およそ2時間続いたそうです。

社長の野澤正平は、それまで落ち着いた口調で受け答えをしていたとのこと。

空気が変わったのは、記者から「社員にどのように説明するのか」と聞かれたときでした。

野澤社長は立ち上がり、涙ながらに、こう訴えています。

「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」

「どうか社員の皆さんを応援してやって下さい」と続けて深く頭を下げた姿は、のちのちまで繰り返し振り返られることになります。

野澤社長は営業ひと筋で社長まで上がった人で、総会屋をめぐる事件で前の経営陣が一斉に退いたあと、1997年8月に社長を継いだばかりでした。

2,648億円の簿外債務についても、就任してから前任の会長と社長に打ち明けられたとされています。

就任から3か月あまりで、自分がつくったわけではない損失の責任を「私らが悪い」と引き受けた。

「神会見」と呼ばれる理由として、まず挙がるのがこの点ですね。


会見の2日前に交わされた約束

じつは、あの言葉には知られていない場面が先にあります。

山一証券の最後を追ったノンフィクション、清武英利の『しんがり 山一證券 最後の12人』に描かれている場面です。

文春オンラインの記事によると、11月22日に自主廃業が報じられたあと、組合の幹部らが野澤社長に、社員の再就職に力を貸してほしいと詰め寄りました。

そこで野澤社長は「社員は悪くない。それはわかっています」と言いながらも、「一部の役員が悪いんです」と弁解したそうです。

すると、入社8年目の社員が泣きながら立ち上がりました。

世の中は社員が悪いと見ている、悪くないと思うなら公の場でそう言ってほしい、と迫り、社長にその場で約束させたというのです。

 

2日後の「社員は悪くありませんから」は、とっさにこぼれた涙というより、社員と交わした約束をカメラの前で守った言葉だったことになります。

しかも悪いのは誰かという主語が、2日前の「一部の役員」から、会見では自分も含めた「私ら」に変わっていました。

1998年3月、残っていた社員も全員が解雇され、創業から100年の節目を迎えていた山一証券は幕を閉じています。


野々村議員の号泣会見と195回の出張

今回のGMOの会見で、山一証券と並んで名前が挙がったのが、元兵庫県議会議員の野々村竜太郎です。

問題になったのは、2013年度の1年間に城崎温泉(兵庫県豊岡市)などへ195回の日帰り出張をしたとして、政務活動費から300万円以上を使っていたことでした。

神戸新聞によると、2014年7月1日の会見で野々村元議員は支出が正しかったと強調しましたが、その途中で大泣きしています。

「この世の中を変えたい」と泣き叫ぶ姿は、海外のニュースでも取り上げられるほどでした。

一方で、どこへ何をしに行ったのかは、会見でも説明されないまま。

 

その後、野々村元議員は議員を辞めて政務活動費を全額返し、2015年に詐欺などの罪で在宅起訴されます。

起訴の対象は2011年度から3年分の支出で、2016年7月6日、神戸地裁は約913万円をだまし取ったとして懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。

公判でも、起訴された内容を一貫して否認していたとのこと。

涙と一緒に出てきたのは、自分の出張は正しかったという主張でした。

2つの会見の映像を並べた投稿まで出回り、今回の会見に12年前の姿を重ねる人が相次いでいます。


GMO熊谷代表が涙を流した場面

では、今回のGMOの会見では何があったのでしょうか。

問題になっているのは、グループの子会社が運営する「お名前.com デスクトップクラウド」で、FXの自動売買を動かすために借りるサーバーのサービスです。

そこが不正アクセスを受け、利用者のFX口座のログイン情報が抜き取られて、勝手に取引される被害が出ました。

熊谷代表は11月2日、公表から12日後に初めて会見を開き、産経新聞によると、会見は約3時間半に及んでいます。

涙を見せたのは、お客様の笑顔のために事業をしてきたという思いを語る場面で、31年間「儲ける」という言葉を使ったことがないと話したそうです。

夕刊フジのニュースサイト「ZAKⅡ」によると、涙ながらに「お客さまの情報を守れと言い続けてきた」とも語ったとのこと。

同じ趣旨の質問が続くと「同じ回答を二度すると、皆様の命の砂時計を無駄にする」と返したほか、ロイターによると、他社も狙われている攻撃を「テロに例えるなら、今は無差別殺人だ」と表現し、政府への提案にまで話が広がる場面もありました。

辞任の考えを問われると、ロイターによると「人生かけて多くの方の笑顔に資するツールにしてから死なせてください」と答えて、退く考えを否定しています。

GMOは同じ日に、熊谷代表の報酬を3か月間30%減らすなど、役員4人の報酬を減らすことも発表しました。

 

記者が繰り返し聞いたのは、2024年4月にグループのセキュリティ会社が、今回破られたサービスの弱点を指摘していた件です。

日本経済新聞などの報道によると、社内の報告の基準が整っていなかったため、その指摘は熊谷代表まで「報告されていなかった」とのことで、熊谷代表は今回の事件で初めて知ったと話しています。

2年前の警告がどこで止まっていたのかは、こちらの記事が詳しいところ。

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ほかにも語り継がれる謝罪会見

「伝説の謝罪会見」として名前が挙がるのは、号泣会見だけではありません。

今回もネットでは、山一証券や野々村議員と並べて、ほかの会見を思い出す人が少なくありませんでした。

ここでは、説明された中身より、思わず出た言葉で記憶に残った2つの会見を振り返ります。

雪印「わたしは寝ていないんだよ」

2000年、雪印乳業の低脂肪乳で大規模な食中毒が起きたとき、会見の延長を求める記者に石川哲郎社長が「後10分」と答えたことから、言い合いになりました。

「時間の問題じゃありませんよ」と詰められて口にしたのが、「わたしは寝ていないんだよ」の一言です。

記者から「こっちだって寝てないですよ」と言い返され、社長はすぐに謝りましたが、この場面は繰り返し報じられ、強い批判を浴びることになりました。

 

船場吉兆の「ささやき女将」

2007年、大阪の老舗料亭・船場吉兆が、食材の産地偽装などをめぐって会見を開いたときのことです。

質問攻めにあう長男の横で、母親の女将が「大きな声で」「記者の目を見て」と小声で指示する声を、マイクが拾っていました。

ここから「ささやき女将」という呼び名が生まれ、船場吉兆は翌年5月に廃業しています。

記憶に残ったのは、自分の寝不足と、息子へのささやき。

悪いのは自分たちだと言い切った山一証券の会見とは、言葉が向いている先がまるで逆なんです。


同じ「知らなかった」社長の分かれ道

ここで、山一証券とGMOの2つの会見を並べてみましょう。

もちろん、2人の立場は大きく違います。

野澤社長は就任から3か月あまりで前任の後始末を背負った人で、熊谷代表は会社を立ち上げてから長くトップに立ち続けている人です。

廃業が決まっていた山一証券と、これから立て直す側のGMOとでは、会見で背負うものも同じではありません。

それでも、大事な知らせが社長の耳に届いていなかったという一点では、2人は重なっています。

野澤社長は簿外債務を就任後に打ち明けられ、熊谷代表は2024年の警告を今回の事件で知りました。

じつは野澤社長自身、会見の2日前には「一部の役員が悪いんです」と口にしていたわけです。

 

違ったのは、そのあと。

野澤社長は泣きながら立ち上がった社員と約束を交わし、会見では「私らが悪い」と、主語を自分たちの側に置いて言い切っています。

熊谷代表は冒頭で被害に遭った人たちに深くお詫びをしていますが、質問に答える場面で語ったのは、報告が上がってこなかったという経緯と、31年間の自分の歩み、そして辞めずにやり遂げさせてほしいという思いでした。

「報告されていなかった」は事実の説明であると同時に、悪いのが誰なのかを言わずに済む言い方でもあるんです。

報告がなかったのが事実だとしても、責任を問われた質問への答えとしてそれを口にしたことに、引っかかった人もいます。

熊谷代表の涙には、お客様の情報を守れと言い続けてきたのに守れなかった悔しさもあったはずです。

そのうえで、同じ「知らなかった」から出発した2つの会見を分けたのは、涙の量ではなく、悪いのは誰かを言うときの主語の置き場所だったように思います。

山一証券の会見で語り継がれているあの言葉は、2日前に泣きながら立ち上がった社員との約束から生まれていました。

29年たっても「神会見」と呼ばれるのは、社長の涙に、社員の涙が重なっていたからなのかもしれませんね。