2026年夏の甲子園で、仙台育英の学生コーチ兼マネージャー・星よつはさんが涙を流しながら選手を励ます姿が話題になりました。

星さんは仙台育英野球部初の女子部員で、記録員として甲子園のベンチ入りも果たしています。

単なる「お世話係」ではなく、ノックやデータ分析などにも関わってきた存在です。 

でもこうした彼女の献身的な支えについて、必ずしも肯定的な声ばかりではなく、「なんで女子ばかり?」みたいな意見も…

ちょっと気になったので、Xのコメントを片っ端から読んで、この問題について考えてみました。

 

Xで意見が二分されたのはなぜ?

そんな感動的な場面の一方、Xでは別の角度からこんな疑問が投げかけられました。

  • マネージャーは、試合には出ない。
  • 土日も部活。
  • 早朝から米を炊いたり、道具を運んだりすることもある。
  • それで無給。
  • いったい何が楽しいの?
  • 奴隷制度みたい

という趣旨の投稿です。

かなり強い言葉でポストされているのが気になりました…

ただ、この投稿が引っかかった人が多かったのは、女子マネージャー個人を否定したいからではないのでしょう。

なぜ「支える役」になると、急に女子ばかりになるのか。

そこに、昔からなんとなく感じていた違和感があったのだと思います。

 

そしてこの話、学校の部活だけでは終わりません。

会社に入っても、

  • お茶出し
  • 片付け
  • 来客対応
  • 飲み会の世話…

「気が利くから」「女性のほうが向いているから」という言葉とともに、細かな仕事が女性へ流れてくる場面はあります。

女子マネージャー論争を見ていてモヤッとするのは、もしかすると学生時代から社会人まで続く「支えるのは女性」という空気が見えてしまうからなのかもしれません。

女子マネージャーは本当に「奴隷」なのか?

結論から言えば、女子マネージャーをまとめて「奴隷」と呼ぶのは違うと思います。

少なくとも星よつはさんの場合、自分から仙台育英野球部への入部を希望し、かなり高いハードルを越えて学生コーチ兼マネージャーになっています

須江航監督から提示された条件は、

  • 男子に負けないノックを打てること
  • データ分析に必要なPCスキルを持つこと
  • そして3年間やり抜く覚悟を持つこと。

星さんはそれを満たして入部しました。

このケースを見て「女子が雑用させられてかわいそう」とだけ言うのは、本人が積み上げた努力まで消してしまいます。

ただし、それとは別に、女子マネージャーという仕組みそのものへ疑問を持つ余地はあります。

無給で雑用ばかりという批判

部活動なのだから、選手もマネージャーも給料が出ないのは当然です。

その意味では「無給だから問題」というだけでは少し乱暴でしょう。

選手だって朝から練習し、土日を使い、部費まで払うことがあります。

問題になるのは、選手自身でもできる雑用を、特定の人だけが延々と引き受ける構造になっていないかというところです。

 

部活動には様々な仕事・雑用が発生します。

  • 洗濯。
  • 掃除。
  • 飲み物の準備。
  • 食事の用意。
  • 道具の片付け。

もしこれらを「マネージャーの仕事だから」と当然のように任せ、しかもマネージャーがほぼ女子なのであれば、「なぜ?」と思うのは自然ですよね。

チーム運営に必要な仕事なら、本来は誰が担当してもいいはずです。

ところが、いつの間にか「選手=男子」「世話をする人=女子」という形になる。

ここが引っかかります。

 

本人のやりがいまで否定していいのか

一方で、「本人が好きでやっている」という意見も無視できません

  • チームが勝ったらうれしい。
  • 選手が成長すれば自分のことのように喜べる。
  • 甲子園に一緒に行きたい。
  • 分析や記録で勝利に貢献したい。

そういう動機は、外から「理解できない」と切り捨てられるものではないでしょう。

星さん自身も、小学生から野球を経験し、父と同じ仙台育英のユニホームで甲子園を目指したいという思いを持っていました。

2026年夏は実際に記録員として4試合でベンチに入り、準々決勝敗退後には「もっとみんなと戦いたかった」と涙を流しています。

これは誰かに無理やりやらされている人の姿、と簡単には言えません。

だから、この問題は「女子マネージャーはかわいそう」で終わらせるとズレるんです。

本人のやりがいは本物。それでも、その役割がなぜ女性に集中しているのかは別に考える必要がある。

この二つは両立します。

なぜ男子部活を支えるのは女子が多い?

そもそも「マネージャー=女子」というイメージは、昔から当然だったわけではありません。

むしろ、かつて男子運動部のマネージャーは男子が中心でした。

笹川スポーツ財団が紹介する女子マネージャー研究では、1960年代ごろから女子が男子運動部のマネージャーへ入り始めたとされています。

受験競争の激化などで男子マネージャーが不足する一方、女子が担うようになった役割は、従来の男子マネージャーが担っていたコーチ的な仕事よりも、雑用や洗濯、食事作りなどに寄っていったと説明されています。

つまり「女子は昔から男子部を支えていた」のではありません。

途中からできた文化なんです。

 

「女子マネ」が当たり前になった背景

興味深いのは、「マネージャー」という言葉のイメージまで変わっていることです。

本来、マネージャーという言葉から連想するのは、管理や運営、分析、調整でしょう。

会社なら管理職です。

ところが高校の運動部では、

  • 「飲み物を用意する人」
  • 「洗濯をする人」
  • 「選手を献身的に支える女子」

という像がかなり強くなりました。

女子マネージャーの歴史を研究した高井昌吏氏の著作でも、メディアが女子マネージャー像の形成に関わってきたことがテーマとして扱われています。

考えてみれば不思議です。

  • 男子サッカー部に女子マネージャー。
  • 男子野球部に女子マネージャー。

これはごく普通に感じます。

では、女子バレー部に男子マネージャーが何人もいる光景はどうでしょう。

急に珍しく感じますよね。

実際、長年高校現場にいる教員が「マネージャーになりたいという男子生徒を聞いたことがない」と語った例も報じられています。

この左右非対称さは、やはり少し妙です。

支える役割が女性に偏る違和感

女子マネージャーという存在そのものが問題なのではありません。

気になるのは、なぜ「誰かを支える」「細かいところへ気づく」「世話をする」という役割だけ、女性と相性がいいことになっているのか…という点です。

  • 「女性は気が利くから」
  • 「女子のほうが細かいことに気づくから」

一見、褒め言葉に聞こえます。

でも裏返すと、「だからあなたがやってね」にもなるんですよね。

 

しかも本人がうまくやればやるほど、その役割は固定されます

①気が利く人へ仕事が集まる

 ↓

②仕事が集まるから、さらに気が利くようになる

 ↓

③そして周囲は「やっぱり女性のほうが向いている」と思う。

なかなか抜けられないループですよね…。

「本人が好きならいい」で終わらない理由

ここで必ず出てくるのが、「本人がやりたくてやっているんだからいいじゃないか」という意見です。

これはその通りです。

本人の意思は、まず尊重されるべきでしょう。

外野が「そんな役割を楽しむなんておかしい」と決めつける方が失礼です。

 

ただ、「本人が好きだから」という答えだけでは、なぜ圧倒的に女子がその役割を選ぶのかという疑問は残ります

例えば、小さい頃から何度も、

  • 女の子は気配りができる。
  • 女子は男子を支えるもの。
  • 女子マネージャーは青春の象徴。

そんなイメージに触れていれば、「自分で選んだ」という選択にも文化の影響は入ります。

 

もちろん、それは悪いことではありません。

私たちの選択は、部活に限らず何かしら周囲の影響を受けています。

だから論点は、「本当に自由意思か?」と本人を問い詰めることではないのでしょう。

女子がマネージャーを選ぶ自由と同じくらい、男子がマネージャーを選んでも何も珍しがられない環境になっているか。

そこを見る方が大事だと思います。

 

そしてもう一つ。

マネージャーがやりたい仕事と、「昔からマネージャーがやっているから」と回ってくる仕事は同じではありません

データを分析したい、戦術を研究したい、選手のコンディションを記録したい…

そう思って入った人が、気づけば米炊きと洗濯ばかり。

それでは「本人が選んだ」で片づけるのは少し違います。

本人がマネージャーを選んだことと、すべての雑用を引き受けることに同意したことは別だからです。

職場にも残る「雑用は女性」の空気

女子マネージャー論争を見ていると、妙に既視感があります。

だって私の職場でも同じことが起きているから!!

  • お茶を出す。
  • コピー用紙を補充する。
  • 会議室を片付ける。
  • 来客に気づいて案内する。
  • 飲み会で料理を取り分ける。

誰かがやらなければならないけれど、評価にはつながりにくい細かな仕事。

こうした役割が女性へ偏るという問題は、昔話だけではありません。

2021年に「女の転職type」が行った調査では、回答した女性の約4割が「女性であること」を理由に、お茶出しや掃除などを経験したと答えています。

厚生労働省が掲載している過去の職場実態調査にも、「お茶くみ・会議室の清掃は女性だけ」「女性だからお茶出しや掃除をしてほしい」といった声が収録されています。

もちろん、すべての会社がそうではありません。

以前より男女で分担する職場も増えているでしょう。

それでも、「女性がやると自然、男性がやると気が利く人扱い」という小さな差は残りやすい

ここが部活動とよく似ています。

女子マネージャーが飲み物を用意したり、女性社員がお茶を出したり…

どちらも一つ一つは大仕事ではありません。

だから問題になりにくい。

そして問題になりにくいからこそ、長く残ります。

 

自治体の職場改善資料でも、お茶出し、ごみ出し、掃除などが「女性限定」になっていないかを見直し、性別による固定的な役割分担をなくすよう促しています。

「そんな小さなことで」と思う人もいるでしょう。

でも、たぶん引っかかっている人が嫌なのは、お茶を入れること自体ではありません。

なぜ私がやる前提なのか。 →ここなんですよね。

 

頼まれればやるし、必要ならやる。

でも最初から自分の担当にされていると、急に話が変わります。

部活のマネージャー問題も、同じところにつながっているように思います。

問題は支えることではなく役割が偏ること

星よつはさんの涙を見て、「マネージャーなんて奴隷だ」とだけ言うのは違います。

星さんは野球経験を持ち、ノックやデータ分析のスキルを磨き、自分の意思で仙台育英の野球部へ入りました。

実際に甲子園のベンチでチームを支え、最後には「もっとみんなと戦いたかった」と涙を流した。

その3年間を、外から勝手に「搾取された時間」と決めつけることはできません。

でも、その感動と、「なぜ女子マネージャーばかりなの?」という疑問は、どちらかを消さなくてもいいのだと思います。

女子が誰かを支えることが問題なのではありません。

支える仕事が、いつの間にか女子の仕事として固定されることが問題なのです。

これは部活でも会社でも同じです。

「本人がやりたいならいい」。

たしかにそうです。

でも、その言葉が使えるのは、「やらない」という選択も同じくらい自然にできるときでしょう。

 

  • 女子がマネージャーをやってもいい。
  • 男子がマネージャーをやってもいい。
  • 選手自身が洗濯や片付けをしてもいい。
  • 女性社員がお茶を入れてもいいし、男性社員が入れてもいい。
  • 誰がやっても普通。

たぶん目指すところは、それほど大げさな話ではありません。

甲子園で流した一人の女子マネージャーの涙がきっかけになって、こんな議論まで広がった。

それは、星さんの姿がおかしかったからではないのでしょう。

むしろ、多くの人がずっと心のどこかで感じていた「支える役って、どうしていつも女性なんだろう」という小さな疑問が、たまたま言葉になったのだと思います。