人はなぜ、自分が正しいと思った瞬間に残酷になれるのでしょうか。

北海道で起きた神居古潭事件。

SNSに投稿された写真の無断転載をきっかけに、一人の女子高校生が命を落としました。

事件の残酷さはもちろんですが、多くの人が衝撃を受けたのは、その発端の小ささだったのではないでしょうか。

なぜ、たった一枚の写真がここまで大きな悲劇につながったのか。

実は人間は、「自分は正しい」と信じた時ほど危うくなる生き物だと言われています。

何千年も前の神話にも、正しさを信じすぎた結果、自ら破滅へ向かった人々が数多く描かれていました。

今回は神居古潭事件をきっかけに、人が正義を振りかざす時に見失うものについて考えてみたいと思います。

 

神居古潭事件が残した違和感

この事件を知った時、多くの人は言葉を失ったと思います。

一人の女子高校生が命を落としたという事実だけでも十分に重い出来事です。

しかし、この事件がここまで人々の記憶に残っている理由は、それだけではないように感じます。

なぜなら、その発端があまりにも小さく見えるからです。

SNSへの写真の転載…もちろん不快に感じる人もいるでしょう、腹が立つこともあるかもしれません。

ですが、多くの人はそこで立ち止まります。

怒りを感じても、相手を傷つけるところまでは進みません。

ところが今回の事件では、その怒りが取り返しのつかない方向へ進んでしまいました。

さらに裁判が進む中で、「なぜここまでできたのか」「なぜ責任を認めないのか」と感じた人も少なくないでしょう。

そこに見えてくるのは単なる怒りではありません。

自分は正しい…相手が悪い…そんな思い込みが暴走した時の怖さです。

だからこそ、多くの人がこの事件に不気味さを感じているのかもしれません。

神話が語る「正義の暴走」

人は悪意だけで暴走するわけではありません。

むしろ、「自分は正しい」と思った時の方が危ういことがあります。

そのことは、昔から神話の中で繰り返し語られてきました。

ニオベが教える傲慢な正義

ギリシャ神話に登場するニオベは、多くの子供を持つことを誇りにしていました。

しかし彼女は次第に、「自分の方が女神より優れている」と思うようになります。

「自分は正しい」「自分は特別だ」…そう信じる気持ちは、いつしか他者を見下す心へ変わっていきました

そして最後には、大切なものをすべて失ってしまいます。

人は自分の正しさを信じすぎると、相手の痛みが見えなくなります。

それがニオベの悲劇でした。

ジャック=ルイ・ダヴィッド『ニオベーの子供たちを攻撃するアポロンとアルテミス』

 

アラクネが教える思い上がりの代償

機織りの名人だったアラクネも、自分の才能に絶対的な自信を持っていました。

やがて彼女は神々にさえ挑戦します。

「自分の方が優れている」「自分こそ正しい」…そう信じた結果、破滅を迎えることになるのです

もちろん自信を持つことは悪いことではありません。

問題は、自信が他者への敬意を失わせた時です。

Diego Velázquez

ディエゴ・ベラスケス『アラクネ』

「自分は間違っていない」と思い込んだ瞬間から、相手の言葉に耳を傾けなくなります。

そして気づかないうちに、自分とは違う考え方や価値観を見下すようになります。

アラクネの物語は、才能や正しさそのものではなく、

「自分だけが正しいと思い込む心」の危うさを伝えているのかもしれません。

 

カインが教える被害者意識の怖さ

旧約聖書のカインもまた、自分を被害者だと思い込んだ人物でした。

なぜ弟ばかり認められるのか。

なぜ自分は報われないのか。

そんな不満が積み重なり、やがて悲劇を生みます。

 

人は傷ついた時、「自分は悪くない」と思いたくなります

その気持ちは誰にでもあるものですが、その感情が強くなりすぎると、相手を攻撃する理由になってしまうことがあります。

神話が語るのは、特別な悪人の話ではありません。

誰の中にもある感情の危うさなのです。

正義はなぜ暴力へ変わるのか

ここまで見てきた神話には、ある共通点があります。

それは、登場人物たちが自分を悪人だと思っていないことです。

  • ニオベは自分の価値を信じていました。
  • アラクネは自分の才能を信じていました。
  • カインは自分の苦しみを信じていました。

誰も最初から「悪いことをしよう」と考えていたわけではありません。

むしろ、「自分は正しい」と思っていたからこそ、周囲が見えなくなってしまったのです。

作家の司馬遼太郎は、「人間は自分は絶対に正しいと思い込んだ時に、最も残酷な事をする」という趣旨の言葉を残しています。

少し怖い言葉ですよね。

でも考えてみると、私たちは日常の中でも似た経験をしています。

  • 誰かに腹が立った時。
  • SNSで許せない投稿を見た時。
  • ニュースを見て強い怒りを感じた時。

そんな瞬間、「あの人が悪い」という気持ちがどんどん大きくなることがあります。

もちろん怒ること自体は悪いことではありません。

問題なのは、その怒りが「だから何をしてもいい」に変わってしまうことです。

 

歴史を見ても、神話を見ても、多くの悲劇はそこから始まっています。

自分が正しいと信じるほど、人は立ち止まれなくなる。

だからこそ、その正義を疑う視点も同じくらい大切なのではないでしょうか。

まとめ|神居古潭事件が問いかけるもの

神居古潭事件は、多くの人に大きな衝撃を与えました。

しかし、この事件がここまで不気味に感じられるのは、その残酷さだけが理由ではないのかもしれません。

なぜ人は、自分が正しいと思った時ほど周りが見えなくなるのか。

なぜ怒りや被害意識は、時として暴力へ変わってしまうのか。

今回紹介した神話の登場人物たちも、自らを悪人だとは思っていませんでした。

むしろ、自分の正しさを信じていたからこそ悲劇を招いてしまったのです。

もちろん今回の事件を起こした人たちの責任が消えることはありません。

ただ、この出来事を単なる他人事として終わらせてしまうのも違う気がします。

自分が怒った時…誰かを責めたくなった時…

「本当に自分は正しいのだろうか」と一度立ち止まること

それこそが、神話が何千年もかけて伝え続けている教訓なのかもしれません。

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