SNSでたった一枚の写真を転載されただけで、なぜ人はこれほどまでに激昂し、他者の尊厳を奪うことさえ厭わなくなるのでしょうか。

私たちが普段何気なく行っている「正義の執行」という行為が、実は誰かを追い詰め、取り返しのつかない悲劇の引き金になっているかもしれない、と考えたことはありませんか。

一般的には、凄惨な事件を起こした加害者に対して「異常者だ」と切り捨てることで安心を得ようとしますが、本当にそれだけで十分だと言えるのでしょうか。

今回は、現代的かつ冷徹な事件と、遠い昔に語られた神話、そして司馬遼太郎が遺した警句を手がかりに、私たちが抱える「正義の暴走」という心の闇に光を当てていきたいと思います。

 

内田梨瑚被告の神居古潭事件の概要

2024年4月、北海道の神居古潭という静かな場所で、ひとつの尊い命が奪われる事件が起きました。

当時17歳の女子高生が、SNSに投稿された写真を無断転載されたという理由で、内田梨瑚被告らによって監禁され、最終的には橋から川へと転落死させられたのです。

この事件が多くの人の心を凍りつかせたのは、その動機のあまりの小ささと、実行された行為のあまりの残酷さとの対比にあります。

単なる「トラブル」と片付けるにはあまりに重く、私たちはこの事件をただのニュースとして消費することに、どこか深い後ろめたさを感じているのではないでしょうか。

内田梨瑚被告の処分が甘いと言われる理由3選

事件の全容が明らかになるにつれ、ネット上では「量刑が甘いのではないか」という憤りの声が数多くあがりました。

なぜ、これほどまでに激しい反発が起きているのか、その背景には私たちが無意識に抱いている「正義」への感覚が深く関わっているようです。

それは単なる感情論ではなく、法の正義と私たちが感じる道徳的な正義との間に、埋めようのない深い溝があるからかもしれません。

 

①残虐な監禁動画が存在する点

内田被告らは、被害者を全裸にした上で暴行を加え、その様子を動画に収めていました。

この行為を知った時、誰もが目を背けたくなるような嫌悪感を抱いたはずです。

ただの暴行であれば「喧嘩」の延長と捉える人もいるかもしれませんが、動画を撮影し、それを共有するという行為は、相手の尊厳を根こそぎ奪い、支配下に置くという残酷な意思表示でもあります。

この「記録する」という冷徹な行動が、多くの人の心を逆撫でし、処分の甘さに対する怒りを増幅させているのでしょう。

 

②共犯者へ責任転嫁している点

共犯者の女性にはすでに重い刑が下されていますが、内田被告は自身の関与を一部否認し続けています。

「殺意はなかった」「落としていない」といった主張は、遺族にとってどれほど過酷な言葉として響くか、計り知れません。

人は自分の過ちを認める時、これまでにないほど大きなエネルギーを必要とするものです。

しかし、自分を守るために他者に責任を転嫁し、現実から目を逸らす姿勢を見せられると、私たちはそこに「罪の深さ」以上の「人間としての未熟さ」を見てしまい、やり場のない苛立ちを覚えるのではないでしょうか。

 

③反省の色が見えない否認姿勢

裁判での態度や発言が、多くの人にとって「反省していない」と受け取られることは、社会的な許容範囲を大きく超えてしまったと言わざるを得ません。

過ちを犯した人間が、素直に謝罪することもなく、理屈を並べて保身に走る姿は、被害者への冒涜に映るものです。

私たちが厳しい処分を求める声の奥には、単なる報復感情だけではなく、罪と向き合う誠実さを失った人間に対する、根源的な失望があるのだと思います。

  • 残虐な動画撮影による尊厳の剥奪と支配
  • 責任転嫁による保身と未熟な姿勢
  • 真摯な反省が見えない裁判での否認態度

内田梨瑚被告が暴走した心理と神話の共通点

この事件の恐ろしさは、内田被告が「自分こそが被害者であり、正義を行っている」と思い込んでいた節がある点です。

司馬遼太郎は、人間が「正義の電球が脳に輝く」状態になった時、もっとも残酷になれると警告しました。

これは現代の事件に限った話ではなく、遥か昔の神話にも似たような過ちが何度も描き出されているんですよね。

 

ギリシャ神話「ニオベの悲劇」

ニオベは自分の子供たちの美しさと多さを誇り、女神レトを侮辱したことで神々の怒りを買い、すべての子を失うという悲劇に見舞われました。

自分の価値を証明するために他者を貶め、絶対的な正しさを信じて疑わなかったニオベのプライドは、結果として自分自身を滅ぼすことになったのです。

現代のSNSでも、自分を正当化し、他者を否定することで自己の存在を確認しようとする姿は、この神話の構図とどこか重見ていませんか。

 

ギリシャ神話「アラクネの物語」

また、機織りの技を神に誇ったアラクネは、傲慢さゆえに蜘蛛の姿に変えられてしまいました。

自分の才能や正義を過信し、他者への想像力を欠いた時に訪れる破滅。

内田被告が犯した行動も、ネットという広大な世界で自分の「小さな正義」が世界に通用すると信じ込んだ結果の、現代版・自己破滅的物語と言えるかもしれません。

 

聖書「カインとアベル」

そして、人類最初の殺人者とされるカインは、弟への嫉妬から殺人に手を染めました。

「なぜ自分は報われないのか」という被害者意識が、他者への攻撃衝動へと変わる瞬間、人は理性を失います

自分の中にあるドロドロとした劣等感を正義というオブラートで包み隠し、相手を排除することで解消しようとする心理は、時代が変わっても驚くほど変わらないものです。

内田梨瑚被告のような悲劇を防ぐための視点

では、私たちはこのような悲劇を繰り返さないために、何ができるのでしょうか。

まずは、自分の心に浮かんだ「正義感」が、本当に正しいものなのかを疑う癖をつけることが大切です。

「自分が絶対的に正しい」という確信を持った瞬間、私たちは加害者にも被害者にもなり得るという自覚を持つだけでも、世界はずいぶん優しくなるはずです。

他者の痛みに対して想像力を働かせるということは、自分の感情をコントロールするための、もっとも有効な手段なのかもしれません。

 

怒りを感じた時、すぐにSNSに書き込むのではなく、一旦スマホを置いて深呼吸をしてみる。

そんな小さな積み重ねが、誰かの命を守り、そして私たち自身の心を穏やかに保つための唯一の道ではないでしょうか。

悲劇をただの消費対象にせず、自分自身の心のあり方を見つめ直すきっかけにすること。

そうすることで、少しずつでも、この世界から不必要な悲しみを減らしていけたらいいですね。

  • 正義の疑いを持ち冷静さを保つ
  • 想像力で他者の痛みを理解する
  • SNS投稿の前に一度深呼吸する