「あ、足がない」

2023年7月16日の午前0時すぎ、栃木県小山市の国道。

バイクで走っていた22歳の看護師が、逆走してきた車と正面からぶつかり、倒れたバイクを起こそうとして最初に気づいたことです。

右足は太ももから先がなくなり、利き手の右手も骨が何か所も折れていました。

看護師になって、まだ3か月ほどのころでした。

しかも、この事故で彼女にぶつかってきたのは、直前に当て逃げをされて、逃げた車を追いかけていた車でした。


当て逃げを追った車の逆走

キャンディーさん(SNSでの名前)

  • 沖縄県出身の看護師
  • 看護大学を卒業して上京し、東京の病院の病棟で働く
  • XやYouTubeで「義足の看護師」として発信

 

現場は、栃木県小山市を通る国道新4号です。

この夜、東京に住む彼女は、片道3時間かけて友人を送り届けた帰りで、中型バイクに1人で乗っていました。

前から光が近づいてきて、気づいたときには、2台の車が並んでこちらへ向かってきていたそうです。

とっさに2台のあいだへ逃げ込もうとしましたが間に合わず、そのうちの1台と正面からぶつかりました。

当時の読売新聞によると、彼女にぶつかった車を運転していたのは、茨城県筑西市に住む30歳の会社員の男性でした。

男性は事故の直前、別の場所で後ろから追突され、そのまま逃げた車を追いかけている途中で、対向車線を逆走していたといいます。

反対車線へ出た時点で、男性はもう関係のない人の命を危険にさらしていて、実際に22歳の看護師が右足を失いました。

最初に当て逃げをした車はそのまま走り去り、ニュースサイトENCOUNTの本人への取材記事によると、事故から3年がたった今も特定されていません。


「足がない」と気づいてからの5分

はね飛ばされた彼女の体は宙に浮き、本人の感覚では1分ほど、地面を滑り続けたといいます。

「周りにある何かに突き刺さってしまうのでは」と、怖くてたまらなかったそうです。

ようやく止まり、倒れたバイクを起こしに行こうとしたとき、右の太ももの骨がむき出しになり、その先の足がないことに気づきました。

そこで彼女は、立ち上がろうとするのをやめます。

動けば出血が増えることを、看護師として知っていたからです。

助けを待つあいだにも、目の前を通り過ぎていく何台もの車。

深夜の国道で、足を失ったばかりの彼女は、およそ5分のあいだ、ひとりきりで助けを待ちました。

やがて、通りがかった別の車が2台引き返してきて、車を降りた男性たちが遠くから様子をうかがっていたそうです。

彼女が「すみませーん!救急車お願いしまーす!」と声をかけると、男性たちは救急車を呼び、フルフェイスのヘルメットも外してくれました。

 

救急車を待つあいだ、彼女の頭に浮かんだのは、翌日の日勤のことでした。

職場に連絡しなければと、飛ばされたスマホを男性たちに探してもらい、右手で文字を打とうとしたところで、初めて右手もひどく傷ついていることに気づいたといいます。

救急車が着くころには、まぶたが勝手に閉じてしまうほど意識が遠のいていました。

それでも「死にたくないので、起きなくては」と、目を開けていることだけに集中していたそうです。

病院で医師から「命を守るために足を切断します」と告げられ、「お願いします」と答えたことは覚えていると話しています。

右足は事故のときにもうちぎれていたので、切断と聞いても驚きはなかったそうです。

 

本人はのちに動画で、このときの出血は、命を落としてもおかしくない量(致死量)を超えていたと振り返っています。

事故の翌日になっても、意識があるのに、呼吸を助ける人工呼吸器の太い管が喉に入ったままで、声が出せず、看護師に指で文字を書いて「いつ抜けるの」と聞いたそうです。

3日後の7月19日には、足と手の手術が8時間に及びました。

「私を見つけて助けてくれた方や救急隊員、病院のスタッフ、たくさんの方が命をつないでくれました」と彼女は話しています。


ニュースの「重傷」に入っていたもの

事故の翌日、2023年7月17日のニュースは、彼女のけがを「右脚の骨を折るなどの重傷」と伝えました(読売新聞)。

同じ日の毎日新聞の見出しは「意識不明」で、本文には命が危ない状態を表す「重体」の言葉。

交通事故のニュースで使われる「重傷」は、警察の統計の言葉で、30日以上の治療が要るけがのことをいいます。

全治1か月の骨折も、足を失うけがも、同じ「重傷」です。

この夜、彼女の「重傷」というひとことの中に入っていたもの。

  • 致死量を超える出血
  • 太ももから先の右足
  • 事故で失った右手の小指の先と、何か所も折れた指と手首(骨が傷口から外とつながる「開放骨折」。右手は6回の手術)
  • 骨盤の骨折と、残った太ももの骨の付け根の壊死(えし=血が通わなくなって骨が死んでいくこと)
  • まだ3か月目だった看護師の仕事(いったん辞めることになった)

Yahoo!ニュースのコメント欄にも、「命に別状ないとか搬送時には意識があったと、まるで軽傷のような記事や報道になる」と書いた人がいました。

ニュースで「重傷」と読んだとき、その人の暮らしがここまで変わっていることまで、私たちはなかなか想像できません。


看護師3か月目で失ったもの

看護師は、彼女が小さいころから夢見てきた仕事でした。

病院に運ばれたあと、医師はお母さんに「娘さんの命が助かるか分かりません」と伝え、家族は早朝の飛行機で沖縄から栃木へ駆けつけました。

医師からは「一生車椅子かもしれない」「利き手も変えた方がいい」と言われたそうです。

 

夜は、30分に1回、痛みで目が覚めたといいます。

なくなったはずの右足に、包丁で刺されるような痛み。

手足を失ったあとに起きる「幻肢痛(げんしつう)」と呼ばれる痛みです。

痛む場所をさすろうにも、彼女の右足はもうありません。

右手のほうも、1ミリも動かせないままでした。

 

面会に来るお母さんの前では、「私がここで泣いてしまえば、お母さんが泣いてしまう」と、いつも笑顔をつくっていたそうです。

その彼女が初めて泣いたのは、病院のベッドの上で、仕事をいったん辞めると決まったときでした。

「大学4年間、何のために頑張ったんだろう」と、悔しい気持ちでいっぱいになったそうです。

 

栃木の病院から沖縄の病院へ移ると決めたのは、沖縄の実家にいる愛犬のキャンディが危篤だと知ったからでした。

9月に沖縄の病院を退院したあとの2023年10月10日、キャンディは彼女の腕の中で息を引き取ります。

彼女がSNSで名乗る「キャンディー」と同じ響きの名前です。

動画では、この日を「私にとって最も辛く悲しい日」と呼び、自分の寿命を分けられるなら分けたいと本気で思っていた、と。


「轢き逃げ」と「執行猶予」の話

彼女は動画やSNSで、この事故を「轢き逃げ」と呼び、相手のことを「私を轢き逃げした犯人」と話しています。

同じENCOUNTの記事にも、ぶつかったあと「2台はそのまま走り去った」という言葉。

人をけがさせたまま、救護をせずにその場を離れるのが「轢き逃げ」で、物にぶつけて逃げる「当て逃げ」とは重さが違います。

一方、事故の翌日の毎日新聞は、走り去ったのは当て逃げをした1台で、ぶつかった男性も病院に運ばれたと伝えていました。

男性は事故の翌日に逮捕されましたが、報じられた疑いは過失運転致傷(運転中の不注意でけがをさせた罪)だけです。

事故のあと男性がどう動いたのか、新聞と本人の話のどちらが正しいのかは、いま出ている報道や本人の動画だけでは決められません。

ただ、深夜の道路に足を失ったまま残され、通りがかりの車に救急車を頼んだのは、彼女自身でした。

 

男性は容疑を認め(毎日新聞)、その後、裁判にかけられました(ENCOUNT)。

退院後、彼女はお母さんの希望で、松葉づえをついて栃木まで裁判の傍聴に行きました。

本人の動画によると、判決は2023年11月10日に出ましたが、どんな刑だったのかは語られないままです。

Yahoo!ニュースのコメント欄には「執行猶予がついたそうだ」という書き込みもありますが、それが本当かどうかを伝えたニュースは、今のところ見当たりません。

執行猶予は、刑の実行をしばらく見送り、そのあいだ問題を起こさなければ刑を受けずに済む判決のことです。

 

逆走して人の足を奪ったのに「過失」なのか、と引っかかった人もいるのではないでしょうか。

車の運転で人にけがをさせたときの罪は、自動車運転処罰法という法律で、大きく2つに分かれます。

  • 過失運転致傷=運転中の不注意でけがをさせた罪(最も重くて、刑務所に入る拘禁刑7年)
  • 危険運転致傷=飲酒や極端なスピード、あおり運転など、法律が名指しした危ない運転でけがをさせた罪(最も重くて拘禁刑15年)

危険運転の一覧には「通行禁止道路」を走る行為も入っています。

ただ、その通行禁止道路にあたるのは、通行止めの道、一方通行の逆走、高速道路や自動車専用道路の反対車線などに限られています(政令という法律の細かい決まりによる)。

一般の道路で中央線を越えて対向車線を走ることは、ここに入っていません。

同じ「逆走」でも、一方通行を逆向きに走るのと、ふつうの道で対向車線を走るのとでは、法律の扱いが違うのです。

今の法律では、スピードの出しすぎのような、ほかの危ない運転に当たらないかぎり、人の足を奪っても、問われるのは「不注意」の罪です。


当て逃げされたとき、事故を見たとき

当て逃げをされたら、とっさに追いかけたくなる人もいるはずです。

でも小山市の夜には、追いかけた車が逃げる車と一緒に対向車線へ入り、何の関係もない人をはねています。

追いかけなくても、ナンバーや車の色を覚えて110番し、ドライブレコーダーの映像を消さずに残しておけば、それを手がかりとして警察へ渡せます。

近くの防犯カメラの映像も、警察を通して確かめてもらうことになると、保険会社の三井住友海上は説明しています。

 

 

事故の現場に出くわしたときにも、通りがかった人が自分でできることがあります。

119番への電話と、自分の手で傷口を押さえることです。

近づくのが怖くても、119番に電話をかければ、何をすればいいかは電話の向こうの指令員が教えてくれます。

大きな出血があるときは、きれいなハンカチやガーゼで傷口を強く押さえます。

片手で止まらなければ両手で体重をかけて押さえるよう、総務省消防庁は応急手当の講習(直接圧迫止血法)で教えています。

同じ講習によれば、血液の3分の1、500ミリリットルのペットボトル約3本分を失うと、命が危なくなるそうです。

そのときは、血液から自分を守るために、ビニール袋などで手を覆ってから押さえるのが安全です。

あの夜の彼女も、引き返してきた2台の車の人たちが救急車を呼んでくれたところから、命をつないでもらっています。


家族と同僚が続けた「いつも通り」

身内がこんな大けがをしたら、何と声をかければいいのか。

両親とお兄さんのことを、彼女は「そのままの私を見てくれて、いつも通りに接してくれました」と話しています。

お母さんは、義足になった娘を山登りにまで連れて行くそうです。

職場の人たちも同じでした。

事故から4日後には、同じ病棟の同僚から寄せ書きの色紙が届き、栃木の病院には上司や先輩がお見舞いに来てくれたそうです。

彼女のほうも、職場には「体はすごく痛いですが、心は元気なので大丈夫です。早く戻れるように頑張ります」と伝えていました。

 

沖縄の病院へ移る日、空港へ向かう途中に10分だけ元の職場へ寄ると、仕事を中断して駆けつけた仲間たちから「待ってるからね」「頑張ってね」と声をかけられたそうです。

沖縄でリハビリを続けていたころには、東京の同期が3人、次々に会いに来てくれました。

彼女自身、家族がいてくれたことが何よりの支えになったと振り返っています。


義足で同じ病棟へ戻るまで

主治医は、看護師に戻ることに反対していました。

壊死した骨の付け根に体重をかけ続ければ、骨がつぶれて、義足で歩くことすらできなくなるおそれがあったからです。

体の負担が少ないデスクワーク中心の医療の仕事を、すすめられたこともあったそうです。

それでも彼女は外来で、「車椅子になってもいいから看護師に戻りたい」と伝えました。

そのときの気持ちを、彼女は動画で「やらない後悔よりもやる後悔」と言い表しています。

残った骨を守って痛みも挫折もなく過ごせたとしても、挑戦しなかったことを自分は必ず後悔する。

それならやってみて、しんどい思いをするほうが幸せだと思った、と。

  • 2023年7月 事故で右足を切断
  • 2023年11月 レンタルの義足を初めて着ける(最初は5分もつけていられなかった)
  • 2024年2月 つえ1本で歩けるようになる
  • 2024年11月 自分専用の義足ができあがる
  • 2024年12月 事故の前と同じ病棟に看護師として戻る

初めて義足に体重をかけたときの痛みを、彼女は「骨の出っ張っている肘で歩く感じ」とたとえています。

予定した手術ではなく、ちぎれた状態からできるだけ足を長く残すための緊急の切断だったので、骨を包む脂肪がふつうよりかなり少なかったからです。

免許センターからは、オートマ車は運転してよい一方で、マニュアル車とバイクは次の免許の更新までに義足で運転できると示さなければ無効になると告げられました。

事故から10か月ほどで運転の試験に合格し、大好きなバイクと車の免許を守りました。

 

復帰したばかりのころは、うれしさよりも「大変すぎてつらかった」という気持ちのほうが強かったと話しています。

皮膚の痛みや幻肢痛は今も続いていて、骨の壊死のリスクも消えたわけではありません。

それでも、ENCOUNTの取材を受けた彼女は、迷うことなくこう答えています。

「今の自分の体で何ができるのかを考えていくことです。今も痛みでつらいこともあります。それでも、看護師に戻ることを諦めなくて本当によかったと思っています」

今の彼女は、患者さんの様子を見て、必要だと感じた人には自分の体のことを打ち明けることがあるそうです。

糖尿病で足を切断した患者さんには義足を見せて、「仕事にも復帰できるから大丈夫」と声をかけたこともあります。


泣きながら笑ってきた3年

指を動かすリハビリが痛すぎてよく泣いていたころ、彼女は「この涙は気にせず、スパルタでお願いします」と頼んで、療法士さんを笑わせていたそうです。

1年5か月ぶりに病棟へ戻った日のことは、「感動の再会もなく、普通に働きました(笑)」と話しています。

自分をはねた男性の裁判を傍聴しに行った旅でさえ、「松葉はすごく疲れましたがとても楽しかったです」と振り返る人です。

 

その笑顔を、いったん失った時期もありました。

復帰から半年ほどたったころ、義足の痛みとストレスが重なって、顔の左側の神経がまひしたのです。

「元々すごい笑うんですけど、無表情の方が自然に見えるから、あんまり笑わないように気をつけたり」と、彼女は鍼の治療院の動画で話しています。

最初は目も閉じられず、仕事中もずっと涙が出て、患者さんにかえって心配されたそうです。

1年ほど治療を続けて、いまは患者さんの目を見て、笑顔で話しかけられるようになりました。

SNSを通してこれから伝えていきたいことを聞かれて、彼女は「人生は楽しんだ方がいい」と答えています。

 

当て逃げをされても、反対車線を走ってよい理由にはなりません。

男性の運転が、看護師になって3か月の22歳から右足を奪い、いったんは夢だった仕事まで手放させました。

彼女が「人生は楽しんだ方がいい」と言えるようになるまでに、どれだけのものを失い、どれだけ泣いてきたのかを思うと、やりきれなさはいっそう深くなるのではないでしょうか。


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