顔面ケーキ親の心理とは?水面に恋したナルキッソスと、スマホ画面に恋する現代人
1歳児の顔面にケーキを何度も押し付け、泣き叫ぶ声を背に笑う親の姿。
SNSで見かけたその動画に、あなたは言いようのない嫌悪感を覚えたのではないでしょうか。
なぜ、子供の痛々しい涙を前にして、あのような笑顔を見せることができたのでしょうか。
ただの「悪ふざけ」や「親の未熟さ」という言葉で片付けるのは簡単ですが、本当の理由はもっと深い場所にあるような気がしてなりません。
今回は、3000年前の神話と現代のSNSという、一見すると無関係な二つの側面から、親がなぜ子供を「舞台の小道具」にしてしまうのか、その歪んだ心理を紐解いていきます。
目次
顔面ケーキ動画が無理すぎた
先日、1歳のお誕生日のお祝い動画が、大きな波紋を呼んでいます。
生クリームのホールケーキに、母親と思われる女性が幼い男の子の頭を後ろからそっと押さえ、顔を何度も押し付ける。
泣き叫ぶ子どもの声が響く中、周囲からは「ドリフや」「もう一回!」という笑い声が聞こえてきます。
女性は「あっ、ごめんね」と言いながらも、再び顔をケーキに沈め、イチゴを乗せるのです。
子どもをモノ扱い
この動画を見た多くの人が、心の底から胸がざわついたと思います。
なぜなら、そこにあったのは「子どもの恐怖や痛みを、大人たちが完全に無視している」現実だったからです。
愛情を注ぐはずの存在を、面白おかしい動画のための道具にしてしまう。
そんな光景に、私たちは強い拒絶反応を示さずにはいられませんでした。
「どうして親は、我が子をここまで道具のように扱えるのだろう」
この疑問が、今回の炎上の根底にあるように感じます。
親のバズりたい欲が出すぎ
この動画を見て感じるのは、親の承認欲求です。
難しく言うとそれっぽいですが、もっと簡単に言えば「見て見て欲」です。
SNSに投稿する以上、誰かに見てもらいたい気持ちはあります。
いいねが欲しい、コメントが欲しい、バズりたい…
これは別に悪いことではありません。
人間なら、誰かに反応してもらえると普通に嬉しいです。
問題は、そのために子供を使ってしまうことです。
子供の笑顔を残すならともかく、子供の涙や怖がる姿を「面白い動画」として扱い始めたら、かなり危ないです。
その瞬間、子供は家族ではなくコンテンツになります。
親子の思い出ではなく、再生数を稼ぐための素材になってしまう。
たぶんここが、多くの人がゾワッとした部分でしょう。
子供はまだ、自分で「やめて」と強く言えないからこそ親が守らなければいけない。
なのに、その親が一番ノリノリでやっていたら、見ている側は不安になります。
「面白い親」になりたい罠
SNSには、変な魔力があります。
普通の生活をしているだけだと、なかなか注目されません。
でも、少し変わったことをすると見てもらえる。
さらに過激なことをすると、もっと見てもらえる。
こうなると、人は少しずつ感覚がズレていきます。
最初は「記念に投稿しよう」だったはずなのに、いつの間にか「ウケる動画を撮ろう」に変わっていく。
ここが怖いところです。
誕生日は本来、子供が主役の日なのに、SNSを意識しすぎることで、主役が子供ではなく投稿者(=親)になります。
「こんな面白いことをする私たち」「ノリのいい家族」「普通とは違うセンスある親」
そう見られたい気持ちが、子供の気持ちより前に出てしまう。
子供からすれば、ただ怖かっただけかもしれません。
でも親の中では「面白い思い出」になっている。
このズレが、今回の炎上の一番気持ち悪いところだと思います。
3000年前にもいた自分大好き人間
ここで少しだけ、ギリシャ神話の話をします。
ギリシャ神話には、ナルキッソスという美少年が登場します。
この人を一言で説明すると、「自分にハマりすぎて人生を失敗した人」です。
ナルキッソス神話
ある日、ナルキッソスは泉の水面をのぞき込みました。
するとそこには、めちゃくちゃ美しい人物が映っていました。
でもそれは、他人ではありません…自分です。
普通なら「今日の俺、盛れてるな」で終わる話です。
ところがナルキッソスは違いました。
水面に映る自分に本気で夢中になります。
周りの声も聞かなくなります。
自分を好きでいてくれる相手にも目を向けません。
ただひたすら、水面の中の自分だけを見続ける。
そして最後には、その場所から離れられなくなり、破滅してしまったと言われています。
昔話として聞くと、ちょっと変な人です。
現代人に置き換えると
ナルキッソスは、水面に映る自分に夢中になりすぎて、現実を失いました。
では、今の私たちが見ているものは何でしょうか。
そうです、スマホです。
SNSに映る「盛れた自分」に夢中になるようなものです。
面白い親に見られたい。
特別な家族だと思われたい。
普通とは違うと感じたい。
その気持ちは、正直だれにでも少しはあります。
だからこそ怖いのです。
だれにでもあり得ること?
顔面ケーキ動画を見て「ありえない」と思った人でも、別の形で似たことをしているかもしれません。
映える写真のために、誰かを待たせる。
投稿のために、空気を無理やり作る。
幸せそうに見せるために、本当の気持ちを無視する。
そう考えると、この問題は一部の親だけの話ではありません。
スマホを持っている現代人みんなに、少しだけ刺さる話です。
大事なのは、画面の中の自分に酔いすぎないこと。
そして、目の前にいる人の声をちゃんと聞くことです。
子供が笑っているなら、それは素敵な思い出です。
でも子供が泣いているなら、それはもうネタではありません。
スマホの画面より、すぐ隣にいる子供の表情を見る。
たぶん、それだけで防げる炎上はかなり多い気がします。
子供は親の小道具じゃない
今回の件で一番大事なのは、子供は親の持ち物ではないということです。
当たり前すぎる話ですが、意外と忘れられがちです。
「自分の子供だから」「家族だから」「これくらい大丈夫だから」
そう思ってしまうと、子供の気持ちが後回しになります。
でも子供にも、ちゃんと感情があります。
怖いものは怖い。
嫌なものは嫌。
泣いているなら、それはもう答えです。
まだ上手に言葉で説明できないだけで、心はちゃんと動いています。
だからこそ、大人が止まらなければいけません。
大人が笑っているから正解。
家族が盛り上がっているから楽しい。
そんなことはありません。
主役の子供が泣いているなら、その時点で失敗です。
まとめ
ナルキッソスは水面の自分に恋をして、静かにこの世を去りました。
そして今、たくさんの親御さんがスマホの画面に映る「理想の自分」に恋をして、子どもの尊厳を少しずつ削ってしまっているように見えます。
技術は進化しました。
でも、人間が抱える「特別でありたい」「愛されたい」という根源的な願いは、3000年前から変わっていないのです。
でも、投稿する前に考えてみてください。
画面の向こうの評価ばかり気にして、目の前にいる大切な人を後回しにしていないか…
投稿のために、本来の楽しさを犠牲にしていないか…
私たちが本当に大事にすべきもののは、スマホの向こう側の反応ではなく、隣にいる人の笑顔ではないでしょうか。
