恋愛リアリティショーが放送されるたび、SNSは大きく盛り上がります。

「この2人を応援したい」「絶対お似合い」「なんでそんなこと言うの?」

視聴者は出演者たちの恋を見守り、ときには自分のことのように感情移入します。

しかし、その熱量は必ずしも良い方向に向かうとは限りません

三角関係になればライバル役の出演者が叩かれ、編集で切り取られた発言が炎上することもあります。

カップル成立後には祝福ムードが広がる一方で、破局報告が出れば憶測や批判が飛び交う。

恋愛リアリティショーの歴史を振り返ると、こうした光景は何度も繰り返されてきました。

 

なぜ私たちは、会ったこともない他人の恋愛にここまで感情を動かされるのでしょうか。

実はそのヒントは、1000年前の平安時代にあります。

『枕草子』を書いた清少納言もまた、他人の恋愛を観察し、「なんでそんな相手を選ぶの?」と首をかしげていました。

恋愛リアリティショーの炎上と平安時代の恋愛ゴシップ。

一見まったく違う話に見えますが、その奥には驚くほど変わらない人間の姿が見えてきます。

 

恋愛リアリティショーが炎上するたびに繰り返されること

恋愛リアリティショーが放送されるたび、SNSでは似たような光景が繰り返されます。

放送中は「誰と誰がくっつくのか」という予想で盛り上がり、カップル成立後は祝福ムードに包まれる。

ところが破局報告が出ると空気は一変します。

  • 「本当の理由は?」
  • 「浮気したの?」
  • 「最初から続かないと思っていた」

そんな憶測が飛び交い、ときにはライバルだった出演者や本人への誹謗中傷に発展することもあります。

ただ、本当は破局してから急に荒れるわけではありません。

恋リアは放送中から荒れています。

三角関係になれば片方を応援する人が現れ、もう片方を批判する人が現れる。

ある出演者の発言が切り取られれば、「性格が悪い」「計算高い」と決めつける声が出る。

まだ番組が終わっていないのに、出演者たちは評価され、ときには裁かれているのです。

不思議なのは、ドラマではここまでならないことです。

嫌な役がいても、「そういうキャラクターなんだな」で終わることがほとんど。

ところが恋リアになると事情が変わります。

視聴者は出演者をフィクションの登場人物ではなく、実在する人物として見ているからです。

だから応援も本気になる。

怒りも本気になる。

恋愛リアリティショーが特別なのは、恋愛を見ているようで、人間そのものを見ているところなのかもしれません。

では、なぜ私たちはそこまで他人の恋愛に入り込んでしまうのでしょうか。

1000年前の日本人も他人の恋愛に夢中だった

恋愛リアリティショーの炎上を見ると、SNS時代特有の現象のように感じるかもしれません。

しかし、人が他人の恋愛を観察し、噂し、ときには批判するのは昔からでした。

平安時代の随筆『枕草子』を読むと、そのことがよく分かります。

そこには令和のコメント欄と驚くほど似た感覚が残されているのです。

 

清少納言が「見苦しきもの」と切り捨てた恋愛

春はあけぼの…

そんな美しい情景を描いた冒頭とは裏腹に、「見苦しきもの」の章段ではかなり毒舌なことを言っています。

簡単に言うと、「昼間からいちゃいちゃしているブサイクなカップルは見苦しい」という内容です。

また「昼寝から起きた顔なんて、美男美女ならまだ見られるけれど、そうでない人たちがお互いの顔を見つめ合っているのは本当に見苦しい」という、なかなか強烈な言い方をしています。

現代なら確実に炎上しそうです。

もちろん平安時代と現代では価値観が違いますが、面白いのは、その毒舌の中にある感情です。

清少納言は恋愛そのものに怒っていたのではありません。

自分の美意識や価値観に合わない恋愛を見て、「なんだか納得できない」と感じていたのです。

実はこれ、恋愛リアリティショーのコメント欄で見かける

  • 「なんであの人を選んだの?」
  • 「このカップル好きになれない」

という反応とよく似ています。

「なんであの人を選ぶの?」という平安時代の疑問

『枕草子』には、「どうしてそんな相手を選ぶのだろう」という趣旨の記述もあります。

美しくて魅力的な人がいるのに、なぜ別の人(しかも中途半端なレベル…)を選ぶのか。

男心は本当に理解できない…そんなモヤモヤがにじんでいます。

これを現代風に言い換えれば、「なんであの人選んだの?」ですが、恋愛リアリティショーのコメント欄で見かける言葉と驚くほど似ています。

1000年も前の人が、令和の視聴者と同じような疑問を抱いていた。

そう考えると少し面白いですよね。

宮廷の噂話は現代のSNSとよく似ている

もちろん平安時代にXはありません、コメント欄もありません…

しかし噂話はありました。

  • 誰が誰を好きになった。
  • 誰が振られた。
  • 誰が別の人のもとへ通っている。

恋愛は昔から格好の娯楽だったのです。

今のSNSは、その井戸端会議が巨大化したものなのかもしれません。

違うのは道具だけ。

人間が他人の恋愛に興味を持つという本質は、あまり変わっていないように見えます。

人は恋愛そのものではなく「理解できない恋愛」に反応する

ここまで見ると、恋リア炎上と平安時代の恋愛ゴシップは意外なほど似ています。

では人はなぜ、他人の恋愛にそこまで強く反応するのでしょうか。

その理由は恋愛そのものではなく、「理解できない恋愛」にあるように思います。

 

恋リア視聴者が破局理由を知りたがる理由

恋愛は本来、当事者同士のものです。

それなのに私たちは理由を知りたがります。

なぜでしょうか。

実は理由が欲しいのではありません、納得したいのです。

「遠距離になった」「価値観が変わった」と言われれば、多くの人は納得できます。

でも、「なんとなく気持ちが離れた」「仲良しですがお別れします」と言われるとモヤモヤする。

人は理解できない出来事に出会うと、不安になります。

だから自分なりの物語を作り始める。

それが憶測の始まりです。

恋愛リアリティショーで破局報告が出るたびに考察大会が始まるのも、そのためなのかもしれません。

 

他人の恋愛に自分の価値観を重ねてしまう

恋愛リアリティショーを見ていて、「私ならあの人を選ぶ」「なんでそっちを選んだの?」と思ったことはないでしょうか。

でも考えてみると少し不思議です。

本来、その恋愛は当事者のもの。

外から見ている私たちには分からないことの方が多いはずです。

それでも強い感情が動くのは、相手の恋愛を見ているようで、自分の価値観を見ているからではないでしょうか。

  • 「誠実な人が選ばれてほしい」
  • 「本気の恋愛であってほしい」
  • 「自分ならこうする」

そうした理想や願望を、私たちは知らず知らずのうちに出演者へ重ねています。

だから理解できない選択を見ると戸惑う。

だから納得できない別れ方を見ると腹が立つ。

『枕草子』で清少納言が「なぜそんな相手を選ぶのか」と首をかしげたように、現代の私たちもまた、自分の価値観を基準に他人の恋愛を眺めているのです。

「なんであの人を選ぶの?」という言葉は、相手への疑問に見えます。

でも実際は、「私なら選ばない」の裏返しなのかもしれません

恋愛リアリティショーを見ているとき、私たちは出演者を評価しているようで、自分の恋愛観を確認している。

そう考えると、恋リアがただの恋愛番組ではなく、人間観察の場でもあることが見えてきます。

「応援」が「攻撃」に変わる瞬間

最初は応援だったはずです。

幸せになってほしい…うまくいってほしい…

そんな気持ちだったのに、期待が大きくなるほど失望も大きくなります。

そして失望は、ときに攻撃へ変わります。

  • 「こんな人だと思わなかった」
  • 「裏切られた」
  • 「最初から本気じゃなかったんだ」

恋リアが炎上するとき、よく見かける言葉です。

 

もちろん出演者は視聴者を裏切ろうとしているわけではありません。

ただ、視聴者の中で作り上げられた物語と現実がズレたとき、人は強いショックを受けます

応援していたからこそ怒る。

期待していたからこそ失望する。

それは恋愛リアリティショーに限らず、芸能人やスポーツ選手、インフルエンサーにも共通する現象です。

善意から始まった感情が、いつの間にか誰かを傷つけてしまう。

恋リア炎上の難しさは、まさにそこにあります。

SNSは平安時代の噂話を巨大化しただけ

恋愛ゴシップそのものは昔からありました。

ただし現代は少し事情が違います。

スマホひとつで何万人もの人が同じ話題について語れるようになったからです。

平安時代にも噂話はありました。

しかし、その多くは限られた人たちの間で消えていきました。

 

今は違います。

何気なく書いた一言が拡散され、スクリーンショットとして残り続けます。

だから炎上も大きくなる。

誹謗中傷も深刻になる。

人間の本質は変わらなくても、その影響力だけは比較にならないほど大きくなったのです。

昔は宮中、今はタイムライン

平安時代の人々が恋愛の噂話をしていた場所は宮廷でした。

現代人が恋愛の噂話をする場所はSNSです。

一見するとまったく違うように見えますが、でも本質はよく似ています。

  • 誰かの恋愛について語る。
  • 自分の意見を言う。
  • 他人の意見に共感する。
  • そして、ときには盛り上がりすぎる。

違うのは規模だけ。

昔は数十人の井戸端会議だったものが、今は何万人も参加する巨大なタイムラインになった。

だから昔なら笑い話で終わったことが、現代では大きな炎上になることもあるのです。

人間の本質は1000年で変わらない

恋愛ゴシップに対して、嫉妬、憶測、応援、失望…

こうした感情は平安時代にもありました。

スマホは新しい、SNSも新しい。でも人間の感情は案外古いままです。

だから1000年前に書かれた『枕草子』を読んでも、「なんだか今の話みたいだな」と思うことがあります。

歴史を学ぶ面白さはここにあります。

昔の人を知ることで、今の私たちが見えてくるのです。

恋リアを見ているようで私たちは自分を見ている

恋愛リアリティショーが炎上する理由は、恋愛そのものが悪いからではありません。

人は他人の恋愛を見ながら、自分の価値観を確認しているからです。

だから「なんであの人を選んだの?」と考える。

だから破局理由を知りたくなる。

だから感情が動く。

 

1000年前、平安貴族たちは恋愛の噂話をしていました。

1000年後の私たちはタイムラインで同じことをしています。

人間は案外変わっていません。

ただ一つ違うのは、昔の噂話はその場で消えたことです。

今は世界中に届き、本人にも届いてしまう。

 

だからこそ、恋リアを見て感情が動いたとき、一度立ち止まって考えてみてもいいのかもしれません。

私はいま、相手の恋愛を見ているのだろうか。

それとも、自分の価値観を見ているのだろうか。

恋愛リアリティショーを見ているようで、私たちは自分自身を見ている。

そう考えると、炎上するコメント欄も少し違って見えてきます。